2021年8月6日
Q.アフターコロナ時代の人事採用 〜シンガポールにおける遠隔採用の法的留意点③〜
【ウォッチリスト対策や就労ビザ対策の一案としてのリモート採用】
シンガポールでは、2020年9月1日以降、EP取得の際の最低給与額が引き上げられました。また、2021年5月1日より、DP保持者が就労する場合にも、就労ビザが必要と変更されました。さらに、現在、Sパス取得についても、最低給与額が現行のS$2,500からS$4,500へと変更されることが検討されています。
このような趨勢の中、就労ビザを取得しない勤務形態、すなわちシンガポール国外で就労する日本人を採用する「遠隔採用」を検討する企業が益々増えています。以前、シンガポール国外で就労する従業員を、シンガポールから遠隔採用する際に生じる法律問題(残業代、解雇)に関するコラムを執筆しましたが、今回は、遠隔採用を検討する際の法的留意点の第三弾として、シンガポール国外で就労する従業員との間での裁判管轄に関する問題点について、解説します。
専属的合意管轄とは
Q. 弊社(シンガポール法人X社)は、日本を就労場所とするYさんを遠隔採用しました。ところが、Yさんは期待されたパフォーマンスを果たさなかったため、弊社は、Yさんに解雇通知を送りました。
ところが、Yさんは解雇の有効性を争い、日本で、弊社に対して裁判を提起しました。弊社とYさんとの間の労働契約書には、「本契約に関する一切の紛争については、シンガポールの裁判所を専属的管轄裁判所とする」と規定しています。Yさんの訴訟提起について、弊社はどのように対応すればよろしいでしょうか。
A. 「本契約に関する一切の紛争については、シンガポールの裁判所を専属的管轄裁判所とする」という内容は、専属的合意管轄と呼ばれています。
一般的に、外国で裁判が提起された場合、裁判期日への出廷や弁護士への相談のために外国に赴かなければならない可能性があり、時間的にも費用的にも大きな負担となります。このような負担を考慮し、当事者間で事前に、「当事者が指定した裁判所のみで裁判をする」と取り決めることが一般的です。
専属的合意管轄は、契約締結時には軽視されがちですが、紛争になった際には重要な意義を有するため、注意が必要です。
労働契約書に記載されている専属的合意管轄の有効性
Q. Yさんの日本での訴訟提起は、弊社とYさんとのシンガポールでの専属的合意管轄に反するので、認められるべきではないと考えています。弊社の理解は正しいですか。
A. 一般的な契約書において、シンガポールの裁判所を専属的管轄と指定した場合には、原則としてシンガポールの裁判所のみで審理がされることになります。例えば、一方当事者が日本で裁判を提起した場合、他方当事者が、「この日本での訴えの提起は、専属的合意管轄違反である」と主張・立証すれば、日本の裁判所は、原則として当該訴えを却下します。
しかし、労働契約に関する裁判の場合には、例外があります。労働契約に関する専属的管轄に関する合意は、「労働契約の終了の時にされた合意」に限り有効であるという規定が法律に定められているからです。本件のYさんとの専属的管轄に関する合意は、労働契約の開始時にされた合意であり、労働契約終了時にされた合意ではありません。そのため、労働契約終了時 にもYさんとの間で専属的管轄に関する合意がされない限り、日本の裁判所は、貴社とYさんとの間のシンガポールの裁判所での専属的管轄に関する合意は無効であると判断する可能性が高いといえます。
したがって、「Yさんの日本での訴訟提起は、貴社とYさんとの間のシンガポールでの専属的合意管轄に反するため認められるべきではない」というような貴社の主張が、日本の裁判所で認められることは難しいといえます。
Q. 日本の裁判所が、「専属的合意管轄が無効」であると判断した場合、Yさんの訴訟提起はどのように扱われるのでしょうか。
A. 日本の法律では、従業員が企業を訴える場合であって、かつ労働契約で従業員の労務提供地が日本と定められている場合には、労働紛争に関しては、日本の裁判所に訴訟提起することができるとされています。これは企業との関係で力関係が弱い従業員を保護する必要があるためです。
本件のケースでも、労働契約でYさんの労務提供地が日本と定められている場合には、Yさんは、貴社を日本の裁判所に訴えることができます。したがって、Yさんの日本の裁判所での訴訟提起は、他に特段の事情がない限り、管轄合意違反で却下される可能性は低いといえます。よって、貴社は、Yさんの請求内容について、日本の裁判所で対応をすることが求められます。
Q. 弊社にとって、日本の裁判所での対応をすることはとても負担になります。何かいい方法はありませんか。
A. 一案としては、従業員を「雇用」するのではなく、「業務を委託」するという方法があります。業務委託の方法を取れば、労働契約のルールは適用されませんので、残業代支払い義務や傷病休暇・年休の付与義務、合意管轄等の例外がなくなり、貴社にとってより有利な手段をとることができます。もっとも、業務委託という方法を取れるかどうかは、個別具体的な事案により異なってきますので、更なる検討が必要になります。