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熱帯綺羅

2016年2月1日

新年に新たな幸せを 人々が願いを掛ける「春聯」

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旧正月が近づくと、チャイナタウンには400以上もの露店が並ぶ。
春聯を含め正月飾りを売る露店は多く、あちこちで紅の飾りが目に止まり街がいっそう賑やかさを増す。

中華圏の人々にとって、お祝いの色と言えば鮮やかな「紅」。民族構成の7割強を華人が占めるシンガポールでも、旧正月のシーズンが近づくと街中がさまざまな紅色に彩られます。そんな中でもひときわ目を引くのが、家の玄関や寺院、ショッピングモールなど建物の入り口に一対で貼られた、漢字が並ぶ紅い紙。これは「春聯(しゅんれん)」と呼ばれる、中華圏の伝統的な風習の一つ。旧正月になると人々は縁起のよい句が書かれた春聯を家の入口などに貼り、新年の幸福や繁栄を願います。

 

春聯の歴史

今もなお人々の間に受け継がれている春聯には、どのような歴史があるのでしょうか。そのルーツを探るべく、チャイナタウンで20年以上もアートギャラリー「ヨン・ギャラリー」を営み、ご自身も著名な書道家であるヨン・チェオンさんにお話を伺いました。
「春聯の歴史は古代の“桃符”に始まると言われています。桃符とは、桃の木でつくられた札に百鬼を支配するという二神の名前などを書いたもの。桃の木には邪気を払う力があると信じられており、人々は旧正月の大晦日に魔除けとして桃符を門の左右に貼り付けていました」(ヨンさん)。
それから時代を下った後蜀の時代、2代目の皇帝だった孟昶(もうちょう)が、新年を寿(ことほ)ぎ自らの安泰を祝う「新年納余慶、嘉節号長春」という自作の対句を桃符に書きました。これが歴史上初の春聯と言われています。
そして明の時代になると、春聯を非常に気に入っていた初代皇帝の朱元璋(しゅげんしょう)が、全域の家に春聯を貼り出すよう勅命を出しました。これにより春聯は庶民にも広まり、現代に至る習慣となったのです。この過程で、素材もかさばる桃の札から縁起が良く厄除けでもある紅色の紙に変わっていったと言われています。

 

「春聯にはルールがあり、左右の漢字が同数で、漢字の意味が対になる必要があります。例えば申年を題材にした “金猴啓春 緑柳催春”という句は、“金色に輝く申年が始まり 木々の緑が春の訪れを告げる”という意味ですが、両方とも最初の“金”と“緑”が色を表しています。また2文字目の“猴(猿)”と“柳”がそれぞれ物体を表し、“啓春”と“催春”はどちらも新しい年が始まるという意味です。句の内容がおめでたいことはもちろんですが、このルールに従うこともまた重要なのです」(ヨンさん)。

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正月飾りを売る露店のなかには目の前で文字を書いてくれるお店も。自分で希望の文字を指定したり、新年の願い事を伝えてふさわしい句を選んでもらうこともできる。
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店の軒先に飾られたパイナップルの飾り。大きさもさまざまで、紅色のほか黄色もある。

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