2015年9月7日
シンガポールのショッピング空間進化論
週末。高温多湿な外気、そして強烈な日光を避け、有限な島内の退屈から逃れるべく、多くの島民はショッピングモールへと逃避し、そこで時と金を蕩尽する。ショッピングモール内には彼らの欲望を満たす装置として、メディアを通じて刷り込まれたモデル(大量生産されたもの)とモード(流行)で満たされている。例えば、超大作映画、高級ブランド、ラーメンなどがあり、内容は常に移り変わる。モダンの語源はモードとモデルと言われており、ショッピングモールこそ、最もモダンな場所の1つである。
時代とともに変化したショッピング空間
では、彼らの欲望を満たす装置としてのショッピング空間は何処から生まれたのか?始まりは街路のショッピング空間、ショップハウスであろう。ショップハウスとは18世紀頃よりマレーシアのマラッカ辺りから広まった建築様式だ。1階が店舗、2階から上が住居で、店舗の手前には5フィート(約1メートル50センチ)の回廊(これは19世紀末にラッフルズが考案したもの)がある。そこでは東南アジア特有の激しい雨を屋根の下で避けられると同時に、連続した買い物空間を提供しており、人々はそこで必要に応じて店ごとに置かれた生活必要品を購入していた。ショップハウスは古い街並みの残る、チャイナタウン、カンポングラム、リトル・インディア、カトン、ゲイラン周辺で確認できる。
時は進み世界的に工業化が進むと、世の中は商品で溢れた。その商品をより多く見られるように、人々の欲望を刺激する建築空間を時代は求めた。その空間がフランスで誕生したアーケードである。街路を鉄と硝子で覆ったアーケードでは、天候に関係なく買い物ができるようになった。シンガポールではチャイナタウンのスミス・ストリート、クラーク・キー、ブギス・ジャンクションといった場所がこの型である。
買い物の空間が進化する中、シンガポールでは相変わらずショップハウスが主流であった。この流れが大きく変わるのが、巨大空間や水平方向への広がりを可能にした空調設備の発展と、垂直方向への拡張を可能にしたエレベーターやエスカレーターの登場である。その結果、チャイナタウンのピープルズ・パーク・コンプレックスと、ビーチ・ロード沿いにあるゴールデン・マイル・コンプレックスに始まる、街路を模した大規模屋内空間で買い物ができるようになった。このモデルは、時代の要求に応え、シンガポール全土の駅前や中心街で普及していく。
オーチャード・ロードの発展
更なる進化はオーチャード・ロードで起こった。これまでの点としてのショッピング空間を1.5キロ以上に渡り接続した線にして、ショップハウスが連なったようなショッピング空間が誕生した。設計事務所のDPアーキテクツが中心となって30年近く設計に携わった地域であり、単体の設計事務所がこれだけの規模の設計を一地域で継続的に設計する類例は少ない。
1980年代半ばにMRTが開通するとともに、オーチャード・ロードの開発は始まった。その際、パリのシャンゼリゼ通り、ニューヨークの5番街、東京の表参道が参考とされ、連続した買い物空間を退屈させずに構築する手法が模索された。脱構築主義的に細分化され異なる素材を用いた外装はそれぞれの建物に個性を与えているほか、流行に合わせて10年毎に更新されている。5フィートの回廊から発展した、歩道に10メートル近く迫り出した天蓋は、連続した半屋外空間を実現した。屋外に設けられたエスカレーターは、建物内部に歩行者を誘う。屋内の地下空間も同様にそれぞれの建物を地下で結んでおり、歩道、屋内、半屋外と異なる空間が並存している。
建築物単体の進化で言えば、DPアーキテクツの設計したオーチャード・セントラルは注目に値する。ここはシンガポール初の垂直型ショッピングモールで、異なるタイプのショッピング空間が垂直方向に積層されている。また、歩道を取り込んで設けられた巨大なエスカレーターは、半屋外空間として高層階まで延長されているのも特徴だ。
ショップハウスの時代から見ると随分と遠い所まで進化したものだと、オーチャード・ロードを建築的な切り口から見ると感心する。シンガポールはショッピング空間が世界で最も多様な都市とも言われており、今後も更なる進化が期待できるだろう。
文=藤堂高直(とうどう・たかなお)
シンガポールの設計事務所DPアーキテクツに所属する建築デザイナー。16歳で文字の読み書きが困難な学習障害の一種「ディスレクシア」と診断されるが、卓越した空間把握能力を発揮。2008年英国の建築大学AAスクールを卒業し建築家として開花。当地ではホテルや美術館などの設計に携わってきた。自らの半生を記した著書『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版。