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藤堂のシンガポール建築考

2015年8月3日

シンガポールと丹下健三

 職場の目の前にある戦争記念公園に立ち、シンガポール・リバー方面を見ると、セントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD、中心業務地区)の高層ビルに彩られたスカイラインが確認できる。このようなスカイラインを私は以前に見たことがある。それは、東京・新宿副都心のスカイラインだ。渋谷区初台にあった以前の職場から毎日見た光景である。それらの造形された景観を眺めると、上手く言葉に表現できない、ある種の崇高さを感じる。
 
 この2つのスカイライン。実は、同じ1人の建築家の構想のもとに実現されたものだ。名を丹下健三という。著名な作品では、広島ピースセンター、国立代々木競技場、東京都庁舎、東京カテドラル聖マリア大聖堂等がある。

 

シンガポールを象徴する、ラッフルズ・プレイスの高層ビル群

 

シンガポールに溢れる丹下健三建築

 最初は日本の伝統建築をモダン建築として解釈するところから始まり、社会や人口の変化に合わせて成長する建築を提案した運動・メタボリズム、都市設計、ポストモダンと移り変わりながらも常に第一線を走り続けた丹下健三。彼の作品の様相はそれぞれ異なるが、一貫しているのは宗教的とも言える絶対性のようなものを感じさせるところだ。それは、彼が学生時代から傾倒したミケランジェロ建築の影響であろう。
 
 丹下はまた、世界的に活躍をした最初の日本人建築家でもある。1970年代以降は開発後進国の多くが非欧米人の才能ある建築家を求めた風潮に乗り、国内よりも海外で作品を残している。彼の作品が海外で最も多く残されているのが、実はここシンガポールなのである。
 
 1970年、香港大学で2人の人物が名誉博士号を受けた。丹下健三と故リー・クアンユー元首相である。彼らは出会ってすぐに意気投合し、後に丹下はシンガポール開発のアドバイザーとして招聘された。丹下は、シンガポール市街地の何処を残し、何処を壊し、何処を再開発するかを助言したという。具体的な内容は不明だが、丹下が明確に都市計画を描いた地域が、現在マリーナ・ベイ・サンズが建っているマリーナ・サウス地区だ。未だこの地区は開発途上であり、完成が待ち遠しい。
 
 丹下はシンガポールで様々なタイプの作品を残している。特筆すべきは先のCBDの景観であろう。これは、ミケランジェロの建築作品「カンピドリオ広場」で試みられた、都市と建築の融合を通じて崇高なるものに達するための計画を、丹下的に解釈したものである。
 
 まず1986年に、OUBセンターが完成する。これはシンガポールで制定されている高さ制限の限界を超えて、完成当時はアジア最高の建物であり、後の東京都庁の意匠にも繋がっている。同年にラッフルズ・プレイスエリアにあるテレコム・センターとグアン・ビー・ビルも完成している。1995年には東京都庁のデザインを継承したUOBプラザが、2012年にはワン・ラッフルズ・プレイス・タワー2も完成した。これらCBDに建てられた建築群は世界で最も丹下の理想が実現された場所の一つとなった。
 
 丹下は他にも多くの作品を設計している。1986年にはメタボリズムの観念を持ち込んだ南洋理工大学を、1989年には代々木国立競技場を連想させるインドア・スタジアムを完成させた。その他、丹下が生前に携わったものとしてUEスクエアがある。第一線から退いた後も、キャセイ・ビル、ザ・リニヤなどにも携わった。
 
 尚、他の設計競技(コンペ)にも複数参加していたのだが、シンガポール国立図書館などは残念ながら落選している。もしこれらが実現していたら、シンガポールの何処を見ても丹下の建築だらけという状態になったであろう。

 

都市的スケールを建築に持ち込んだ、南洋理工大学のキャンパス
(写真提供:丹下都市建築設計)

 

丹下健三が残した功績

 丹下の功績によって、世界に日本の建築を知らしめることができた。槇文彦、黒川紀章、最近では伊東豊雄ら日本人建築家が丹下を追う様に、シンガポールでたくさんの作品を残している。
 
 丹下がシンガポールおよびアジア諸国にもたらした最大の功績は、建築家の隈健吾(くまけんご)の言葉を用いれば、「丹下さんが水や緑といった自然と人間との接点に注意を払いながらシンガポールでつくり出したものは、従来のアジア的な特徴を一変するものでした。つまり、丹下さんが1970年代にアジアへ行かなければ、われわれが今知っているアジアの都市風景は違った姿をしていたかもしれません」。
 
 また、隈曰く、彼に出会った若きアジアの建築家達は、1970年代に丹下が伝えた都市計画をいかに発展させるかを課題にしており、そこにも丹下の影響が確実に窺える。

 


文=藤堂高直(とうどう・たかなお)
シンガポールの設計事務所DPアーキテクツに所属する建築デザイナー。16歳で文字の読み書きが困難な学習障害の一種「ディスレクシア」と診断されるが、卓越した空間把握能力を発揮。2008年英国の建築大学AAスクールを卒業し建築家として開花。当地ではホテルや美術館などの設計に携わってきた。自らの半生を記した著書『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.285(2015年08月03日発行)」に掲載されたものです。

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