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表紙の人

Vol.275

2015年3月2日

藤堂 高直さん

DP Architects Pte Ltd Architectural Executive/建築デザイナー。

asiax (3)当地の設計事務所DPアーキテクツに所属、建築デザイナーとして活躍する。当地ではこれまで、ホテルや美術館などの設計に携わってきた。

15歳で渡英。高校を経て、数々の有名建築家を輩出する名門、アーキテクチュラル・アソシエーション・スクール・オブ・アーキテクチャー(AAスクール)で2008年に大学院卒にあたるディプロマを取得した。
建築の道に進むことを決めたのは、英国で過ごした高校時代。16歳で学習障害の一種、文字の読み書きが困難な「ディスレクシア」と診断された。一方で、空間を把握する能力が卓越していることも分かり、その能力を生かせる仕事をと考えた。加えて、伊予今治藩・伊勢津藩主で築城の名手だった戦国武将、藤堂高虎の血を引く名家に育ち、手掛けた美しい石垣に感銘を受けた経験なども、その選択を後押しした。優れた空間認識能力を発揮した個性的な作品を次々と世に送り出している。学生時代から、プリズムを使って光を操るパビリオン空間やメビウスの輪をモチーフにした水族館などで、英国内外の多数の建築賞を受賞した。
卒業後は日本で設計事務所に就職、東京の保育園設計を手掛けた後、2013年に来星した。日本では知名度の低いディスレクシアの存在だが、シンガポールでは広く知られている。大きな理由の1つは、リー・クアンユー元首相が、自身のディスレクシアを公表したことだ。リー氏は私財を投じ、支援活動に取り組んでいる。
デザインだけでなく、不得手な議事録や手書きの書類作成などもせざるを得なかった日本と違い、当地では、主にコンセプトやアカデミックな調査、外装設計などの業務に携わっている。「今の仕事はおよそ10人のチームで3つのプロジェクトを同時に進めています。それぞれが得意なこと、苦手なことを分担して補いあえる環境です」。
2006年にロンドンの自宅近くの地下鉄でテロが発生し、人生観が変わった。仕事だけでなく、母栄子さんが設立したディスレクシア支援のNPOでの活動や茶器の作陶、建築探訪、小説執筆など、趣味や社会活動に精力的に取り組んでいる。半生を記した著作『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版した。「より時を濃く過ごし、価値のあるものに多く接する。迷ったらやる、とにかく行動するのが信条です」。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.275(2015年03月02日発行)」に掲載されたものです。

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