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インドビジネス基礎情報

2006年6月5日

巨象目覚める

1991年の経済危機を機に、ナラシム・ラオ政権は新経済政策NEPを発表し、中国が改革・開放政策に踏み切ってから13年後、遅ればせながらインドも社会主義から市場主義へ舵を切ることになりました。これはインドの成長へとつながる重要なものでしたが、現在のようにインドが注目を浴びる状況となったのは、やはりITでの成功がありました。

 
インドのITでの成功は、ソフトウェア開発の持つ特性とタイミングが、インドの社会的、歴史的背景とぴったり合致してなされたものでした。

 
製造業などと違い、ソフトウェア開発では、蓄積された熟練労働力や有形資産が必ずしも必要という訳ではなく、パソコンと優秀な人間がいれば基本的には成り立つという特性があります。

 
タイミング的には、90年代というアメリカを中心に「IT革命」が進行していた時期であり、同時に経済のグローバル化、オープンシステム化が進んでいた時期でした。また、50年代から始まった、インドから米英を中心とした先進国への移住は、90年にはインド系アメリカ人が100万人を超える規模にまで達していました。彼らはもともと数学、工学や論理的思考に強い上に、教育熱心で高い知識を有しており、アメリカのIT革命においても中心的な役割を果たすことになりました。

 
90年代のIT革命は、インターネット化、ウェブの登場で、通信コストの低下や、大量データの高速でのやり取りを可能にしました。人件費など生産コストの安いところでプログラミングなどの作業を行うオフショアリングが急速に進んで、インドにも大量の業務が流れるようになり、さらに2000年問題対応でこの流れが一気に進みました。国境と時間を超えたグローバリゼーションが、ITの分野でインドを世界の舞台へと引き上げることになったのです。

 
またインド政府も、IT革命を利用し、自国のソフトウェア産業を国家の新しい経済産業と位置づけ、国を挙げて育成してきました。このIT、ソフトウェア産業は主に輸出で発展してきましたが、知識や経験はインド国内に蓄積され、インド国内産業においてもIT化が進むこととなり、これが生産性の向上、そして国内需要の喚起へとつながっていく好循環につながっていきました。

 
インドにおける経済の自由化と、IT主導の経済発展の同時進行は、中国などで見られた従来の発展パターンとは異なるものでした。つまり、まず労働集約的軽工業、次に資本集約的重化学工業、そして最後にサービス業という従来の発展形態に対して、インドは一気にサービス業へと進むことによって成長し、その後に製造業の急速な発展や、インフラ整備の段階に入っているのです。

 
このような形で発展し注目されるインドについて知ることで、我々の今後の戦略に生かしていければというのがこの連載の趣旨です。次回は、その前提知識となるインドの基礎的なデータを確認しておきます。

文=土肥克彦(有限会社アイジェイシーauthor

福岡県出身。九州大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。東京本社勤務時代にインド・ダスツール社と協業、オフショア・ソフト開発に携わる。
2004年有限会社アイジェイシーを設立、ダスツール社と提携しながら、各種オフショア開発の受託やコンサルティング、ビジネス・サポート等のサービスで日印間のビジネスの架け橋として活躍している。
また、メールマガジン「インドの今を知る! 一歩先読むビジネスのヒント!」を発行、インドに興味のある企業や個人を対象に日々インド情報を発信中。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.075(2006年06月05日発行)」に掲載されたものです。

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