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2007年6月18日

カースト制度(社会・文化4)

今回はインドの政治の4回目で、ネルー死後の60年代後半からのインド国民会議派の状況についてまとめて記します。

 
1964年第2代首相シャーストリの死後、ネルーの娘であるインディラ・ガンディーが第3代首相に選出されました。それは会議派の長老達にとって、ネルーの娘としてガンディーの人気を利用できることと、背後から操作しやすいということがあったからでした。
しかしガンディーは徐々に自己のリーダーシップの確立を目指して長老達とも対立するようになり、党内対立が進行していきました。

 
そして1969年11月12日に会議派は、与党・会議派と野党・会議派に分裂しました。
分裂後与党・会議派は、ドラヴィダ進歩連盟やインド共産党の協力を得て議会運営を行うことになりました。この頃ガンディーは、銀行国有化や共産党との接近、さらにソ連との印ソ友好条約の締結など、社会主義路線を進めていった時代でした。

 
1969年の会議派分裂の際、地方組織の多くは野党・会議派の側にまわったため、与党・会議派は地方の組織を活用することができなくなりました。そのためガンディーは党組織に頼った選挙でなく、直接国民に訴えかける戦術を取りました。そして1971年に行われた第5回総選挙では貧困追放をスローガンに掲げて、国民の支持を得る戦術にでました。その結果与党・会議派は68%の議席を獲得し、さらに71年12月の第3次印パ戦争での圧勝の勢いもあり、翌年の州議会選挙でも大勝しました。これが現在でも見られる、インドのポピュリズム的な政治の始まりとなりました。

 
現在でも政権与党の会議派は選挙対策の点から、インフレ対策や貧困対策を重点に掲げて取り組んでいます。このようにインドでは、現在でも選挙が近づくと人気取り的な政策が打ち出される傾向にあります。

 
しかし大勝した与党・会議派政権は、その後インフレや政治腐敗に有効な手を打つことができず、膨れ上がった国民の期待は逆に不満となり、各地でストや暴動を誘発しました。ガンディー政権はこれに対して、警察権力による取締りの強化で対抗していきました。そして与党・会議派は、国内の騒乱を抑えるためとして、75年6月26日に非常事態宣言を出しました。そして野党指導者は解任や逮捕されるなどして、野党の州政権はなくなっていったのでした。

 
しかしその後77年に実施された第6回総選挙で、会議派は獲得議席数が28%にまで落ち込む大敗北を喫し、一方インド人民党や野党・会議派などが合併してできたジャナタ党は大勝し、政権の座につきました。

 
そして与党・会議派は、インディラを支持するグループ会議派(I)とそうでないグループ会議派(S)とにさらに分裂し、現在の会議派(I)が誕生しました(以下これを会議派と称します)。

 
ジャナタ党は寄り合い所帯であったため内紛が起き、次第に弱体化していきました。一方会議派はガンディーの個人的魅力を前面に出し党勢を拡大し、80年1月に行われた第7回総選挙で67%の議席を獲得、第二次ガンディー内閣を発足させました。この頃ガンディー首相の次男であるサンジャイ・ガンディーが首相後継の第一人者でしたが、80年6月に自らの操縦する飛行機が墜落して死亡してしまいました。

 
サンジャイの死後、長男のラジブ・ガンディーが連邦下院補欠選挙で当選し、その後84年10月31日に暗殺されたインディラ・ガンディーの後を受けて、40歳の若さで首相に就任しました。
ラジブ・ガンディー首相は清新なイメージと政治浄化を提唱し、就任直後の第8回総選挙で、80%の議席を獲得して大勝しました。
ラジブ・ガンディーはインドの利益誘導型政治を改革しようとした試みましたが、87年に入ってさまざまな疑惑も表面化するようになり、国民からの支持を急速に失っていきました。そして89年の第9回総選挙で、獲得議席が38%にとどまる敗北を喫し、下野することとなりました。

 
その後91年に行われた第10回総選挙の最中に、ラジブ・ガンディーはタミル・ナドゥ州で過激派により暗殺されるなどの事件がありましたが、過半数には満たないものの第一党の座を得ました。そしてナラシマ・ラオが首相に就任し、現在の経済発展につながる経済自由化を断行するに至りました。
次回はインドの社会・文化に移って、カースト制について記します。

文=土肥克彦(有限会社アイジェイシーauthor

福岡県出身。九州大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。東京本社勤務時代にインド・ダスツール社と協業、オフショア・ソフト開発に携わる。
2004年有限会社アイジェイシーを設立、ダスツール社と提携しながら、各種オフショア開発の受託やコンサルティング、ビジネス・サポート等のサービスで日印間のビジネスの架け橋として活躍している。
また、メールマガジン「インドの今を知る! 一歩先読むビジネスのヒント!」を発行、インドに興味のある企業や個人を対象に日々インド情報を発信中。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.100(2007年06月18日発行)」に掲載されたものです。

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