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2009年6月15日

「誠」の心で築いた経験の数々、ゆえに我あり。

シンガポール・ビジネス・フェデレーション(SBF)CEO テン・テンダー氏

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流暢に話す日本語、時折日本のビジネスマン特有の言い回しを織り込む語り口に、テン・テンダー氏の日本での経験の長さと奥行きが伺い知れる。早稲田大学を卒業後、日本企業に13年間務めた経験を持つテン氏。その後もアジア太平洋地域を舞台に各地で活躍した氏は、現在日本でいう経団連にあたるシンガポールビジネスフェデレーション(SBF)のCEOを務めている。シンガポールに在籍する企業の総意を集め、世界にそのプレゼンスを示すための積極的な施策を数々打つというSBFのミッションを遂行するテン氏にインタビューした。

 

日本、アジア各地での経験を経て旨い「サラダ人間」へ

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大学進学を留学と決めた時、行き先に日本を選んだ。日本へ行けば、専門の学問の他に日本語が学べるという親戚のアドバイスがきっかけだったという。「1974年、第一次オイルショックで日本も浮き足立っていた頃でしたね。日本の技術力、その急成長を遂げたサクセスストーリーは海外から随分と注目されていました。」

 

私費留学生として、語学試験から大学入試まで全て自分の力で乗り切り、早稲田大学商学部へ入学した。卒業後、日本での就職活動を経て、花王株式会社に初の外国人正社員として入社した。勤勉さと熱意を買ってくれていた大学のゼミの教授の推薦状が功を奏したからでしょう、と謙虚に語る。 花王に入社後は、メーカーに必須な部署である営業、物流、生産管理、マーケティングなどを一通り経験した後、国際部に配属となった。東南アジア各国をまわり、新製品の開発、各支社での教育訓練などに携わった。当時のアジア各国7支社の責任者らと交流するうちに、日本流のプロ意識、仕事のやり方など、多くの事を学んだという。

 

「私は自分のことを、花王の中のサラダ人間、と呼んでいました。サラダは一つの野菜(経験)だけじゃおいしくない。いろいろな野菜が混ざってこそ、旨くなる。」と、多様な経験をつみ上げてきた事を例えて笑った。「花王の前社長の故丸田芳郎氏の意思を汲んだマーケティングの鉄則、社会貢献の大切さ、顧客満足の追求という考え方に大きな影響を受けました。そんな花王の企業精神を、アジア各国で現地の文化に融合させて伝える努力をしたものです。」と、当時を振り返る。

 

フィリピン、マレーシア駐在を経てジャカルタに赴任中、地元の複合企業で食品関係の事業開発を担うべく、13年勤務した花王を離れた。以降、会社を変えながらメルボルン、シンガポールで経営戦力の一端を担った。仕事と仕事の間には、失業の痛手も経験したという。今や、あらゆるビジネスリーダーから相談を受ける立場にあるのも、そんな苦労を乗り越えながら、着実にテン氏ならではの経験を積み上げてきた成果に他ならない。

 

日本的マネジメントの普遍性

シンガポールに戻った後、「明確な会社の理念もなく、儲け主義の企業が多く、消費者が満足する事で利益は自然に上がってくるという発想で取組んで来た自分は、スピリットの無さに淋しい思いをしました。」と、逆カルチャーショックの経験を語った。随分と改善されてきたとしながらも、「今のような時代だからこそ、日本的マネジメントの良さを引き出して国際化する必要があるのでは。日本での良いマネジメント事例を伝えることで、欧米の個人主義的なシステムを見直すきっかけとなるはずです。」という。

 

その理由のひとつに、日本的マネジメントの先見性をあげた。コラボレーションビジネスや、職場でのコミュニケーションの重要性など、比較的最近うたわれるものだが、日本の経営戦略の中においては以前から介在している。また、現在の金融危機を前後して、会社の社会的な価値観が問われ,社会的責任を果たすべきだと叫ばれているが、日本の企業の発想の中には従来よりあったものだ。二つめは、日本には、人間性のあるリーダーシップ、マネジメントの良さがある。問題解決のためには、社内の先輩や上司が、それぞれの知恵と経験を持ち寄って手を差し伸べ指導をしたり、アフター5の時間を使った精神的なサポートも一般的に行われている。

 

自分の仕事以外は考えない、やらないという個人主義のままでは、時代を越えるイノベーションも起こりえないというのだ。「シンガポールのリーダーも、当地のサービス態度の向上の必要性について述べていますが、それは押しつけで出てくるものでなく、心の中から出てくるものです。それがすでに備わっていることも、日本の力の一つだと思います。」と付け足した。

 

シンガポールビジネスフェデレーション(SBF)の視点から

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SBFの設立は、2001年にシンガポール政府によって制定された。それ以前は、国際的にシンガポールのビジネスを代表する機関はなかったとう。払込資本が50万ドル以上の企業は、全て加入が義務づけられており、現在の会員数は1万5千社にのぼる。シンガポールに会社登記をしている企業が会員となるので、ローカル企業のみに留まらない。各種委員会には、シンガポールの華人、インド人、マレー人商業会議所の他、一連のアジアや欧米の商工会議所も参加している。主なSBFの役割として、企業の声を政府へ発信、新しい政策についてのコンサルテーション、ASEAN、APEC、WTOなどの会議においてシンガポールの代表として発表、などを行う。

 

目下の取り組みとして、「特にR&D関連において、シンガポール経済開発庁(EDB)やシンガポール科学技術庁(A*STAR)と協力しながら、シード・テクノロジーを見いだし、その技術を将来商業及び商品化するためのプロジェクトを遂行していきたいです。現在はロシアとの間で共同開発に関する話し合いがすすんでいます。」とテン氏は語る。また、「今後は、省エネルギー関連や、知識産業の分野でシンガポールが世界市場で活躍できるよう、先進性のあるものを具体化して行けたらいいですね。国内にITなどのインフラは揃っているので、次は自由な発想が生まれる土壌を作るために、根本的な教育制度の見直しなどにも働きかけられたら。」と抱負を語った。

 

今年アジア太平洋経済協力会議(APEC)の開催国でもあるシンガポール。来年と再来年の開催地となる日本とアメリカ両国とは、現時点からそれぞれ連携しながら、中期的なビジョンをもって世界経済への施策を模索していく予定だ。「今すぐ必要とされている問題に手を打ちながらも、近い将来に実を結ぶような種まきを今回のシンガポールでの会議できっちり行い、日本、アメリカでの会議を通して大きく育てて行きたいです。」という。

 

中国語、英語、日本語、インドネシア語を全て流暢に話すテン氏は、自分はAPECそのものだと笑う。実際、テン氏は、APECビジネス諮問委員会議長を務めるなど、年内はAPECの成功のために多忙を極める。企業にいた頃よりも、産業を越えて国としてのマクロの視点が必要となり、プレッシャーもあるが、やりがいがあるという。

 

「大変な時期に、と良くいわれますが、クライシスを機に、このままではいけないという共通認識が生まれ、新しい提案を生み出そうと結束力も高まる。ある意味で今は好機と捉えています。」

 

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氏の信条は、「日々『誠』を尽くして謙虚に、そしてファイト、ファイト」。ここでも花王時代に会得したものが生きていると語る。キャリアの成熟期のまっただ中にある氏の表情には、暖かい人間味と自らの使命に全力投球で挑む充実感が溢れていた。日本の教授や上司達から学んだビジネス学が、シンンガポールでこれほどの大役を担うテン氏の中に脈々と引き継がれていることに、我々の先人達は誇りに思うに違いな

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この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.147(2009年06月15日発行)」に掲載されたものです。
取材=桑島千春

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