シンガポールのビジネス情報サイト AsiaXビジネスTOP日本におけるシンガポール航空の歴史

企業紹介

2021年4月21日

日本におけるシンガポール航空の歴史

 2021年は、日本とシンガポールの外交関係が樹立されて55周年を迎える年です。
 これまで長年にわたり両国の架け橋を担ってきた航空会社、シンガポール航空。今回は、シンガポール航空の「歴史」に関する5つのストーリーをご紹介します!
 

1.シンガポール航空は日本に就航して53年!

 シンガポール航空が、前身のマレーシア・シンガポール航空(MSA)として日本に初めて就航したのは1968年8月。就航当時は羽田空港にボーイング707型機にて週4便で運航し、その後50年以上にわたり日本とシンガポール、あるいはシンガポールのその先にある国の文化や経済の架け橋となって歴史を紡いできました。
 

1968 年羽田空港就航時(提供:シンガポール航空)

 
 2011年には東日本大震災の復興支援に役立つようにとの思いから 40万シンガポール・ドルを超える支援金を日本赤十字社に寄付、2016年に発生した熊本地震の際には被災された方々へ支援物資の寄付など、日本社会に寄り添って企業活動をしてきました。
 
 半世紀以上に渡る日本の皆様のご支援のおかげで、運航便数は日本就航当初の週4便から、2020年(新型コロナウイルス感染拡大前)には東京(成田・羽田)、大阪(関空)、名古屋(中部)、福岡の5都市から週84便(日本―ロサンゼルス路線を含む)を運航するまでにネットワークを拡大。今後も日本とシンガポール、そしてその先の世界をつなぐ架け橋として、より快適で高品質なサービスを提供して参ります。
 

2.アジアのホスピタリティを象徴する制服「サロンケバヤ」が 1968 年にデビュー

 日本初就航と同じ1968年、ピエール・バルマンのデザインによってシンガポール航空を象徴するアイコニックな制服「サロンケバヤ」がデビュー。同年から現在に至るまで客室乗務員は「サロンケバヤ」を制服として着用しています。「ケバヤ」は、東南アジアで女性が伝統的に着用してきた衣服で、バティック染め(アジア独特の伝統染織)の布を使用しています。バティックは東南アジアの地域によって柄が異なり、同社で使用されているモチーフでは、シンガポールの花々が用いられています。
 

サロンケバヤを採寸するピエール・バルマン(右)(提供:シンガポール航空)

 
 同社のバティック・モチーフは制服以外にも、機内販売グッズ等で用いられていましたが、2021年、53年ぶりに新しいバティック・モチーフに生まれ変わりました。White Kopsia(白の花)、Seashore Purslane(赤の花)、Aquatic Ginger(先が尖っている青の花)など、シンガポールの 10 の花が用いられています。制服は従来通り、オリジナルのバティック・モチーフを使用し、その他の同社のブランディングや機内販売製品には新しいバティック・モチーフが登用されます。
 
 ※新しいバティック・モチーフに関する動画はこちらから。

 

3.10名の日本人客室乗務員から始まった“シンガポール航空のやさしいおもてなし”

 日本初就航時には、第1期生となる日本人客室乗務員を10名採用しました。以来、同社では10名の後を継ぐ日本のスタッフがシンガポールのスタッフと一丸となり、“やさしいおもてなし”を提供してきました。現在同社で働く日本人客室乗務員の中には、最上位となるインフライトマネージャー(客室責任者)として任務にあたる者もおり、日本のみならず世界のお客様におもてなしをしています。
 

日本人客室乗務員第 1期生 10名(提供:シンガポール航空)

 
 また、日本との関わりで欠かすことのできないのが京都・祇園の老舗料亭「菊乃井」三代目主人である村田吉弘シェフです。1998年に世界にさきがけ世界中の著名なシェフで構成された機内食のアドバイザリーチーム「インターナショナル・カリナリー・パネル(ICP)」で、結成当時からのメンバーとして23年以上もの間、機内食のサービス向上に多大な貢献をしてこられました。そして日本路線就航以来、日本人スタッフのみならず、日本語を勉強し接客するシンガポール人の客室乗務員など多国籍スタッフによる尽力があり今日のシンガポール航空があります。
 

4.貨物で日本に貢献

 シンガポール航空は、医薬品、生鮮食品、電子部品などの重要な製品の貨物輸送でも日本市場に貢献をしてきました。53年もの歴史の中には、特別な貨物の輸送を幾たびも経験し、ボーイング 747型機で日本で開催される主要なレースの為に、レーシングカーやオートバイを輸送をすることもあります。
 
 2020年3月新型コロナウイルスの感染拡大以降、旅客便の運航減便によりこれまでの輸送能力が低下し、貨物の需給バランスが崩れましたが、当社は地場産業の支援ならびに急増する貨物輸送の需要に対応するため、状況を見極めながら段階的に復便をしています。
 

新型コロナワクチン輸送直後、笑顔にも見えるシンガポール航空の貨物機(提供:シンガポール航空)

 

5.日本の地方都市とシンガポール・その先を結ぶ

 シンガポール航空は現在、日本の5都市から定期的に運航をしていますが、この53年の間、札幌、函館、仙台、新潟、小松、広島、沖縄などといった地域にも定期便やチャーター便を運航。また、グループ会社であるシルクエアーで広島、長崎、大分、鹿児島、沖縄へも定期便やチャーター便を運航。新型コロナウイルス感染症拡大以前は、シンガポールや世界各地からの旅行者を同社で日本へ運び、訪日ビジネスでも日本市場に貢献してきました。
 

沖縄チャーター運航時の様子(提供:シンガポール航空)

 
 日本の地方都市にチャーター便を運航することで、定期便で運航しない都市のビジネスとしての潜在的な可能性を見つけると共に、海外のお客様による日本の新たな魅力の発掘に繋げることを目指しています。これにより、地方都市へのチャーター便は、日本とシンガポール、そしてその先の国の文化や経済の架け橋の役割をさらに加速させるものだと考えています。
 


 
 いかがでしたでしょうか?
 次回は、シンガポール航空の「社員」についてご紹介する予定です。どうぞお楽しみに!

おすすめ・関連記事

シンガポールのビジネス情報サイト AsiaXビジネスTOP日本におけるシンガポール航空の歴史