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ビジネスインタビュー

2019年4月25日

【星日文化協会(JCS)】タン・ジョンレクさん

“你中有我 我中有你 ~君の中に我あり、我の中に君あり”

 1966年の外交関係樹立から53年。昭和、平成の時代をともに成長し続けてきた日本とシンガポール。と同時に約40年、日本とシンガポールの友好関係の架け橋として走り続けてきた来た人がいる――星日文化協会(JCS)のタン・ジョンレク氏だ。今の日本を取り巻く状況、そして、これからの日本に必要なこと、また、新時代に向けたメッセージなどについて話を聞いた。

 

 

日本は新時代「令和」を迎えます。

 今、日本とシンガポールはとてもいい関係にあります。シンガポーリアンは日本にとても親しみを感じており、新しい時代の幕開けをポジティブな気持ちで見守っています。

 

年号が変わることに世界で一番敏感だったのが中国とも言われています。

 これまでの昭和や平成は、中国の古書、『詩経』や『尚書』などから選ばれていた背景を見ると、いろいろな見方があったことは確かです。一部の人たちは、日本の国家主義が高まっていくことを懸念しているようですが、個人的には全く心配していません。
 
 日本と中国の間には、言葉の成り立ちから始まる長い歴史があります。2000年ぐらい前の中国の古書を日本の学者が一生懸命、謙虚に学んだ。また逆に、中国で使われている近代言葉の中には、日本人が作った言葉がたくさんあります。例えば、「共和国」、「共産党」、「社会」、「経済学」、「文化」、「幼稚園」など例を挙げたらきりがない。日本が明治維新の時に作った言葉で数百以上はあるだろう。
 
 1895年の日清戦争後、中国は何故あんな小さい国に負けた、あの国には何かあるはずだと、「魯迅」や「孫文」など当時の知識人や学者らが日本に渡りました。彼らは日本から一生懸命学んで、中国に帰り、学んだ日本語を中国語にそのまま取り入れて使い始めた。このような経緯で近代中国語には日本語がたくさん取り入られるようになったのです。お互いの素晴らしい言葉を吸収しあえばいい。中国の言葉は中国の財産ではなく、世界の財産、世界の知恵。その点で見ると、現代の中国人の一部は少し敏感すぎるのでは、と個人的に思います。

 

日本では、義務教育で道徳観の教書としても名高い孔子の『論語』に学びます。国語の入学試験にもたびたび出題されるので、諳(そら)んじることができる人も多いですが、中国ではこの素晴らしい教えを学べない時期があったそうですね。

 日本人の学者たちはこの『論語』だけでなく、『老子道徳経』や『三国志』など、中国の素晴らしい知恵を中国人に負けないくらい一生懸命に学んでいますね。文化大革命の10年間(1966~76年)は内乱と鎖国、非常にケオティック(大混乱かつ無秩序な)で目茶目茶な時代があった。確かに、当時の一部政権内には、孔子の思想は政権にふさわしくないとし、禁止していたという事実があります。でも今日ではそういう風潮はありません。今の中国は、世界のいろいろな国々と接してきて、昔の鎖国状態とは全然違う。

 

今日、留学先としての日本の大学の人気はどうですか?

 シンガポーリアンが海外に留学する場合、英語圏の国が人気です。苦労して新しい言葉を勉強しなくていいから。英語で勉強して、すぐに専門性を身に付けて帰ってくる。イギリスの大学だったら3年で卒業、日本だったら5年(最初の1年は日本語の習得)。この2年の違いが大きいと考える若者が多い。一方で日本に勉強に行くなら、短期間というケースが多いですね。アニメとかファッションとかスイーツとか日本の高い技術を学んで帰ってくる。

 

日本で日本語と技術を学んだあとはどうですか?卒業後は日本に残って働きたいと考えますか。

 日本で技術を学んだあとは、国に戻って生かしたい、と考えている人たちが多いと思います。これはシンガポールだけに限らず、他の東南アジア諸国の人たちについても同じ。もしかしたら日本で長く暮らすことは、なかなか難しい部分があるかもしれない。一番大きいのは言語の問題だと思います。看護師の例で言えば、日本の日本語能力試験(JLPT)にパスしないといけないというハードルの高さもありますね。日本に行く人も日本の文化への理解が足りていない、日本側も海外の文化への理解がもっと必要。
 
 その点から考えると、シンガポールは4人に1人が外国人、かつ、きちんとビザを取って合法的に働いている人たちが多く集まる国。皆、目的があって、まじめに働いている。要は、合法と違法の認識をしっかり線引きする。不法滞在者はもともと法を犯して滞在しているから、悪いことに対するモラルが欠如しがち、つまり犯罪につながりやすい。合法的に来ている人たちは、そのラインをきちんと理解し、やるべきこと目的を見失わずに一生懸命働く。よく日本人は、入ってくる外国人はマナーが悪いからと言いますが、マナーが悪いだけで犯罪にはつながりません。拒絶するのではなく、お互いのいいところを吸収しあえるよう、こういう合法下で働く人たちが増えるような環境づくりをするといいと思います。シンガポールは、そういう意味でいい例になると思います。 

 

当地での日系企業の人気は?

 90年代は製造業の全盛期で、当時はソニーとか松下、日立、サンヨーとか、旭硝子などの日本企業がたくさんのローカルを雇っていた時代でした。だけど、国が成熟してくるとともに、製造業は海外に出て、環境が変わった。働く人のニーズも変わってきました。給料の水準が変わり、就労環境が変化したことが大きいです。でも、給料だけでなく、達成感、つまり上司が承認してくれているか、これがおそらく一番大きいと思う。
 
 以前、2人のシンガポール人が日本のある企業に本社採用が決まりましたが、一人は行く前に辞めた。言語を習得できなかったのが理由です。もう1人は日本には行ったが、数か月後に帰ってきた。理由を聞いてみると、みんな本当によくしてくれたけれど、コーポレートカルチャーが合わなかったという。でも、本音は初任給の問題だったかもしれない。日本とシンガポールの新卒の初任給の開きは大きい。シンガポールの初任給は年々高くなってきています。
 
 でも、個人的には最初の3年間くらいは一生懸命食らいついて勉強してほしいという気持ちがあります。(日本の社風が)一概に悪いとは言えない。いい部分、優れたところがたくさんある。逆に日本側のボスに必要なのは、プロセスに対する決定権をもっと持たせてあげてほしい。間違っても勉強。間違い=この人は悪いということにはつながらない。是非、成長につながると考えて見てあげてほしい。

 

時代の流れとともに、日本人はどう変わりましたか?

 80~90年代、日本は急成長して国が豊かになった。その時代に生まれた人たちは少しリラックスしている傾向があるかもしれません。今まで日本もシンガポールも危機感があったから、ここまで成長してきた。でも、貧しい中で苦労して頑張った世代に比べ、学校教育も家庭でのしつけも、昔ほど厳しくない。危機感が減り、競争する必要もなくなった。日本には「ゆとり教育」というのがありましたね。これは今のシンガポールについても同じことが言えます。あと、最近の若い人は外に出たがらないようですね。(国を)出ていかなくてもちゃんとやっていける。アルバイトで食べていける。日本は国際社会との接触が減っているような気がします。
 
 日本の友人としてあえて言うならば、国際的な視野を広げてほしいということが一つ。あと、英語力をもっと上げないといけない。これがとても重要だと思います。私が学生だった頃だから、この40年間を見ても、日本人の英語力は少ししか上がっていない。今、中国は国を挙げて英語教育をしている。日本は英語教育に予算をきちんと割り当て、ネイティブの英語教師をたくさん雇ったほうがいい。一人一人の英語力をあげて、国際競争力をつけるべきです。

 

シンガポールと日本は今後、お互いにどう協力して発展していったらよいでしょうか。

 今の日本の介護の現場は、20年後のシンガポールだと思っています。我々は、日本が今直面している現状から学ぼうとしている。例えば先ほどの看護師のケースでいえば、ナンヤン・ポリテックニックで勉強して卒業したら、シンガポールで働くことができる。昨年入院して彼らのケアを受けましたが、なかなかプロフェッショナルでしたよ。日本で看護師として働くために、看護師としての必要な技術だけでなく、日本語、また、文化や習慣も学ぶ――これをシンガポールで学ぶという試みをやっています。
 
 ASEAN周辺諸国から看護師を募集し、シンガポールで看護師の勉強をして研修を受ける。その中で日本に行きたいという人を募り、行く前に日本語と日本の習慣を学んでもらう。試験に受かったら日本に行けるし、もし試験に合格しなくても、シンガポールで働ける。これは日本とシンガポールだけでなく、もう一つのASEANの国にとって、WIN-WIN-WINという構図。こういう形で日本とシンガポールが協力していければと思います。
 
 あと、日本にはいい製品がある。特に中小企業のモノづくりは素晴らしいですね。でも、彼らにはコネクションがない。シンガポールはモノはないけれど、コネクションはたくさんある。この双方がつながることのできる場所を創設したらいいと思います。そうすれば、世界で飛躍するチャンスは大いにある。
 
 戦後、日本はとても謙虚に、中国を含む東南アジアの周辺諸国に援助をして、今日の関係を築きましたね。そして、シンガポールも日本に対する努力をした。歴史を乗り越え、お互いが発展的な関係を築くために、先人たちが研鑽してきたから今がある。日本にはもっと自信もって進んでいってほしいと思います。
 

 

Tan Jong Lek(タン・ジョンレク)氏
 
National Junior Collegeを卒業後、政府奨学金を得て国費留学生として日本へ。横浜国立大学・工学部船舶海洋工学科を卒業後、2年半の兵役に従事し、1985年1月国防省に入省。その後、官庁、民営企業を経て、現在は会社役員として、複数の企業のアドバイザリーなどを務める。JUGAS前会長、任期中の2005年、同協会の活動が評価され、日本外務大臣表彰を受賞。長年、星日間交流に尽力してきた。

(聞き手/内藤剛志、編集/野本寿子)

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.345(2019年5月1日発行)」に掲載されたものです。

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