2017年4月25日
現地採用者の声!シンガポール生活編
昔からの目標だった海外就職をスタートしたみたものの、お金や住まい、勤務先での待遇など、生活にまつわる悩みはつきない……という人も多いのではないのでしょうか。今回の座談会では、シンガポールで現地採用として働く方に生活全般に関する現状や悩みなどについて語ってもらいました。普段はなかなか耳にすることのできない、現地採用者の生の声をお届けします。
RICOH (SINGAPORE) PTE LTD
ビジネスマネージャー
風呂井 郁子さん
1996年に日本語教師として来星し、1999年に中華系シンガポール人と結婚。海外旅行傷害保険会社の代理店や韓国系電子部品会社などを経て、2009年にリコーシンガポールに営業サポートとして入社。その翌年に日系企業の担当チームを結成し、現在は5人のローカルスタッフと、リコージャパンからの営業サポート1人を取りまとめる。
MACNICA ASIA PACIFIC PTE LIMITED
マネージャー
川口 潔さん
日本の大学を卒業後、自動車メーカー勤務を経て渡英し、英語学習のかたわら日本語教師を目指す。1995年に渡豪し中高一貫校で日本語教師の職に就く。同年12月にシンガポール人と結婚し来星、1996年から半導体商社に勤務し、2013年9月より現職。シンガポール生活は23年目を迎え、2男2女の父でもある。
PHOENIX ACCONTING SINGAPORE PTE. LTD.
ダイレクター 日本公認会計士
日浦 康介さん
日本の大学を卒業後、民間企業にてパークレンジャーとして勤務。その後、新日本有限責任監査法人に入所し、金融・小売・建設・電力業等の法定監査業務などに従事。2014年に来星し、現地採用としてErnst & Young LLPのSingapore事務所に勤務。2016年6月、Phoenix Accounting Singapore Pte. Ltd. に参画し、シンガポールでの法人設立や会計・税務支援を担当している。
MISA TRAVEL PTE LTD
Strategist (Edu&Japan Mkt) M.I.C.E.&Education Travel
山本 訓子さん
武庫川女子大学を卒業後、Ramada Hotel に勤務。1990年来星し、日本航空シンガポール支店に18年間勤務。1993年中華系シンガポール人と結婚。CTC Travel、Chan Brothersなど 旅行業界で27年間という豊富なキャリアを持つ。シンガポールでの暮らしは27年目を迎え、1男の母でもある。
AsiaX:本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。まずはシンガポールで働こうと思ったきっかけや、来星までの経緯について教えて下さい。
風呂井:日本にいる頃から英語が大好きで、いつか英語を使って海外で働きたいと漠然と思っていました。そのチャンスがないかと探していた所、日本語教師として中国、韓国、シンガポールの3つの国で日本語教師として働けるチャンスがあると知り、その中でも、英語が公用語であるシンガポールで働くことを決めました。日本語教師の資格は、シンガポールに来ることが決まってから半年で取りました。
日浦:高校生の時にアメリカに交換留学をし、その当時から将来は海外で働きたいという思いが強くありました。日本で就職後も準備をし、チャンスに恵まれた2014年、当時務めていた日本の監査法人のシンガポール事務所へ転籍しました。その後、転職して現在の勤務先で働いています。
川口:シンガポールに来る前は、オーストラリアで日本語教師として働いていました。当時、現地の大学で知り合ったシンガポール人との結婚を機に、シンガポールに行くか日本に戻るか迷っていました。その頃の日本はバブルが弾けて就職が大変だったこともあり、シンガポールで仕事を探すことを決めました。
山本:私はもともと旅行が好きで、母とシンガポール旅行を計画したことがここで暮らすきっかけになりました。母が急遽旅行を取り止め、一人でシンガポールに来たのですが、その時に旅先でお世話になった人とのご縁で、日本航空のシンガポール支店の面接を受けることになりました。当初は3年くらいで日本に帰るつもりだったのですが、気がつけばあっという間に27年が経っていました。