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来星記念インタビュー

2016年1月1日

マッチフラッグに見るスポーツと芸術の交わり アジアのサッカー文化を象るために

アーティスト 日比野 克彦氏

2018年FIFAワールドカップロシア大会のアジア2次予選で、アジア代表を目指して健闘している日本代表チーム。この代表を勝ち取るまでのプロセスをひとつの国際交流の機会にしようと活動しているアーティストがいる。「アジア代表」プロジェクトのもと、日本代表チームが予選で対戦するシンガポール、カンボジア、シリア、アフガニスタンの試合に合わせて「マッチフラッグ」の応援旗を協同制作するプログラムを展開している日比野克彦氏だ。昨年11月12日のシンガポール対日本代表戦の際に来星し、試合に先立って日本人会主催のサッカー大会の参加者やラ・サール芸術学院の学生たちに向けてワークショップを行った。試合前日に指導にあたっていた日比野氏に話を聞いた。

※アジア代表プロジェクト、マッチフラッグについて  2005年の九州国立博物館開館に際し、日比野氏によりアジアをテーマとしたワークショップを開催する「アジア代表」プロジェクトが始動。当時2006年のワールドカップアジア予選が開催されていたことからサッカーを取り込んだ。当初は対戦国をイメージした段ボール製の船を制作していたが、2010年から持ち運びやすいマッチフラッグの制作を開始。マッチフラッグは、日本の対戦国の地域特性や文化背景を学んだ後、両国の国旗に用いられる色を使って両国のイメージをグループで1枚の旗に描き、試合当日の応援旗とする。アジアの想いをひとつにして世界へ、という願いが込められている。

―マッチフラッグを制作することでどんなことが期待できますか。
一例ですが、2010年にカメルーン対日本戦に向けてマッチフラッグを作りました。ほとんどの人はカメルーンのことをよく知らないものの、旗を作るのにその国のことを勉強しながら手を動かしたことで、単に試合を観るだけと比べて、かなりその国の見方が変わりました。自分たちが作った旗の国と日本が戦っていると思うだけで、試合の勝ち負けだけでなく相手の国を近しく感じられ、シンパシー(同情心)や思い入れが生まれました。せっかく遠い国からくる選手たちを迎えるのだから、サッカーを文化交流の機会として捉えたらいい。スポーツは勝ち負けを超えて相互理解や国際交流の役に立つんですね。特にマッチフラッグ制作のような試合前の交流活動が有効です。

 

―越後妻有アートトリエンナーレや六本木アートナイトなど、地域を巻き込んで活躍されてきた日比野さんならではの発想だと思います。
サッカーというスポーツをきっかけに皆で一緒に旗を作る。つまりサッカーとアートがそこで交わることで、文化と交流が生まれるわけです。ワークショップを開催するなど教育的な側面も期待できますし。  単に両国の友好のために旗だけ作るというのではピンとこないけど、一緒に作ったものが日本対シンガポールのサッカーの国際試合で実際掲げられるというのは、作った当人たちにも作り甲斐が出てきます。作った時は楽しかったけど、その時だけというのでは意味がない。成果物がどう活かされるかが大事なんです。

 

―シンガポールでのワークショップの印象を教えて下さい。
これまで日本国内のみで活動していましたが、今回国際交流基金アジアセンターの助成を受けて、アジア2次予選で日本と対戦する各国へ赴き、初めて現地の人とマッチフラッグを制作することになりました。その第1弾がシンガポールだったんです。 ラ・サール芸術学院では、デザイン学部の授業の一環として学生たちとマッチフラッグを制作しました。日本と比べて学生たちそれぞれの個性が強いですね。中華系、インド系など人種も違うので当然特性がちがう。技術的な差もありますが、インド系の人は私が示したお手本通りにやる人が多かったり、フィリピンやインドネシアの留学生たちは描く技術が特に優秀だったり。ムードメーカーの学生もいてグループとしてうまく調和し、サッカーに普段は興味のない学生でものめりこんで制作してくれました。これをきっかけに、彼らに向けた何らかのプログラムを今後また手掛けてみたいですね。

 

―「アジア代表」プロジェクトを通して成し遂げたいことは何ですか?  「アジア代表」の日本の事務局は「アジア代表・日本」というのですが、例えばシンガポールに「アジア代表・シンガポール」というのができて、タイやベトナムと対戦する時にマッチフラッグを制作したり、サッカーを通してそれと異なるスキルやツールを使ったりしながら何かの文化交流をするような拠点になったらいいですね。ひいては、アジア各国でアートとスポーツをつなぐアソシエーション(組織体)が次々出てくるのが理想です。 シンガポールは日本より、地理的にも文化的にもより人や物事が交差しやすい拠点だと思うので、今までにないクロスの仕方が生まれて、全く新しい形態の表現や社会の中の一組織ができるといいなと思います。 ―日比野さんはアーティストであり熱心なサッカーファンとしても知られています。 1968年のメキシコオリンピックで日本が初めてサッカーで銅メダルを取って、国内で最初のサッカーブームが起こりました。僕もその時にサッカーを始めたんです。これまで、サッカーが人としてのつながりも広げてくれたし、アートの幅も広げてくれた。僕が美術しかやってなかったら、こういう機会やつながりもなかった。アートとスポーツは、いずれもイメージを持って体を動かすことによって表現するものだから、元々とても似ていると言えます。

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