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熱帯綺羅

2014年9月1日

ノスタルジックな風景に今も人が通う街「ブキパソ景観保存地区」

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スクリーンショット 2015-07-01 13.10.02シンガポール川の南西部に生まれたチャイナタウンは、旧英国東インド会社のトーマス・ラッフルズ卿とフィリップ・ジャクソン大尉が1823年に民族ごとの居住区を定めた独自の都市計画のもと形成されました。この地域は、クレタアヤ、テロックアヤ、タンジョンパガー、アンシャンヒル、そしてブキパソの5つの地区に大きく分かれます。
ブキパソ地区はチャイナタウンの南西側にあり、MRTアウトラム・パーク駅沿いのニューブリッジ・ロードとそれと並行して走るニール・ロードをつなぐブキパソ・ロードとケオンサイク・ロードの一画を指します。この界隈はイギリス本国の影響を受けたコロニアル様式の建物と東南アジアで多く見られるショップハウスが混在し、独特の雰囲気を醸し出す街並みがみられます。

 

華人の有力者が集ったブキパソ・ロード

 

スクリーンショット 2015-07-01 13.10.07今ではその面影を見ることはありませんが、以前この一帯には多くの陶窯があり、マレー語で“花の陶器”という意味を持つ“Pasoh”にちなんで地名がついたそうです。ブキパソ・ロードには1895年に設立されたシンガポールでも最も古い社交クラブのひとつ、Ee Hoe Hean Clubがあり、以前から華人の有力者や富裕層が集う界隈だったことが伺えます。この会員制クラブはシンガポール国内でのビジネスの発展はもちろんのこと、1911年に中国で起きた辛亥革命にも関与したといいます。また1937年に勃発した日中戦争では、中華民国を支援するための海外拠点として必要な物資を供給したり、人道的支援を行ったりするなど大きな役割を果たしました。
建物の前には現在も高級車が乗りつけ、会員制クラブとして活動を続けています。また、周辺のコロニアル様式の洒落た建物には、ブティックホテル、和食やフレンチの高級レストランが店を構え、新旧がうまく共存しながら今でもどこかハイクラスな雰囲気を保っています。

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