2017年10月31日
プンゴル
さて、サフラ・プンゴルを左に見ながら北上を続ける。自転車ユーザーにはやや苦しいアップダウンを越えると、海沿いのプンゴル・ポイント・ウォーク(写真⑤)に到着。同地区はシーフード・レストランが多いことで有名で、このプンゴル・ポイント・ウォークには魚釣りを楽しむ地元の人々の姿がちらほら。向こう岸にマレーシアを望む景色をのんびり満喫できるようにと、半島の形を模したアーティスティックな休憩スポットがプロムナードに設けられている。
海岸沿いにはレストランがあるので、ここで軽くランチを。フレンチの技巧を取り入れた欧風料理がいただけるジャスト・ザ・プレイス(写真⑥)へ。サーモンやベーコンからフィリングが選べるエッグベネディクトや、ぷりぷりの海老を使ったアーリオオーリオがおすすめだ。


食事が済んだら、今度は東方面へ。自転車で行くには距離があるので、プンゴル駅へ戻ってLRTを利用するといいだろう。プンゴル線の東回りに乗車し、リビエラ駅で降りる。駅から徒歩数分の場所に、海老の釣り堀やレストランが並んでいる。海老釣りは「prawning」と言われ、シンガポールで親しまれてきた。ここ、ハイ・ビン・プロウニングでは、隣接スペースにBBQピットが用意され、釣ったばかりの新鮮な海老をその場で焼いて食べられる。
リビエラ周辺での目当ては、自家製のペストリーやスイーツがいただけるリバーサイドカフェのウィスク&パドル(写真⑦)。樹々に囲まれた心地よいテラスで陽が沈む夕暮れをゆるりと待って、プンゴル探索を締めるとよいだろう。


生活をサポートする機能が充実していて、豊かな自然にも恵まれている。プンゴルがこれほどに暮らす場として優れている背景には、「プンゴル21」という国が作った都市プランがある。
「プンゴル」という名前が資料に登場したのは1828年。当初、この地域にはマレー系の漁師が多く、その後、潮州から入ってきた中華系移民によってゴムとココナッツの農園や豚の飼育が始まる。衛生状態は悪く、一帯は1960年代頃までは水も電気も通っておらず、雨が降れば洪水が起きるような場所だった。
変化が起きたのは1970年代に入ってから。プンゴル地区の住宅汚染を減らすべくHDB(公団住宅)の建築が始まり、ゆっくりと都市化が進んでいった。こうして1996年に発表されたのがゴー・チョクトン元首相によるプンゴル21。同地区をコンパクトで、歩行者に優しく、緑豊かで、居住者同士の交流が発生するようなニュータウンへと生まれ変わらせることが決まり、さらに2007年、21世紀のウォーターフロント・タウンへといっそうの進化を遂げるよう、「プンゴル21+」が発表されるに至った。
約20年にわたって進化してきたニュータウン。たまに足を伸ばして、その完璧な街の姿と自然の姿を楽しんでもらいたい。しかし眼前の美しい様子だけでなく、街の歴史と国の政策に思いをはせると、なお面白く感じられるはずだ。
プンゴルのおすすめスポット
島内からほぼ姿を消したkampong建築が残る
マレー系民族が多く暮らしたエリアゆえ、その昔、一帯にはマレー語で「村」という意味のkampongがあり、そこにはマレーの伝統的な木造家屋が建てられていた。都市化が進むシンガポール全体ではもちろん、ニュータウン化された同地区でもほとんどkampong建築は見ることができなくなったが、唯一、ロロン・カンポン・ブアンコックに残っている。思い思いにカラーペインティングされ、星などを象った透かし窓などがあり、古い、というより、可愛い、と感じる人も多いはず。アクセスは全くよくないが、一見の価値はあり。


この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.327(2017年11月1日発行)」に掲載されたものです。