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シンガポールモザイク

2013年1月21日

シンガポール川の流れは絶えずして、しかも元のQUAYにあらず

世界4大文明が大河によって育まれたように、こちらシンガポールでも川沿いにあるエリア、ボート・キー、クラーク・キー、ロバートソン・キーにはいつも人が集まり、にぎわっている。ゆるやかに流れる川とともにシンガポールを見つめてきた3つのキー(Quay)の昔と今の姿を比べてみた。

資料協力:National Heritage Board

Robertson Quay

スクリーンショット 2015-06-30 7.28.30シンガポールの貿易が盛んになるにつれてボート・キーから上流のクラーク・キー、さらにロバートソン・キーの開発へと進む。元々沼地だったところを19世紀中頃に埋立地とし、1880年以降、東洋と西洋の建築様式を取り入れたさまざまな倉庫やショップハウスが建てられた。ロバートソン・キーという名前は、地区議会議員だったJ・マレイ・ロバートソン(J. Murray Robertson)氏にちなんでいる。

 

 

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Clarke Quay

 

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クラーク・キーという名前は、1873年から1875年にシンガポール総督を務めたアンドリュー・クラーク卿にちなむ。1860年代にはすでにボート・キーが手狭になったため、当時の華僑商人やヨーロッパの会社は上流のクラーク・キーに倉庫や工場を建設する必要に迫られた。19世紀中頃以前には英国植民地政府の火薬や石炭の倉庫などがあり、井戸が近くにあったことから船舶への水の供給地でもあった。

2000年初期頃からレストランやパブ、ショッピングセンターが軒を連ねる歓楽街へと変貌した。

 

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Boat Quay

 

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沼地を1822年に埋め立て、シンガポール川沿いのエリアで最初に開発されたボート・キー。かつては、パブリック・キー(Public Quay)と呼ばれ、貿易・商業の拠点として栄えた。ちょうどシンガポール川が湾曲する場所に位置することから華人の間では「鯉の腹(The belly of the carp)」、すなわち幸運が宿るところとされた。

1989年にボート・キーエリアは環境保護地区に指定され、東洋と西洋の文化が混合したユニークな建築様式のショップハウスは保全されることになった。これらの建物はパブやレストランとなった今も当時の面影を伝えている。

 

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この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.227(2013年01月21日発行)」に掲載されたものです。
文= AsiaX編集部

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