2018年7月25日
シンガポールのプレイグランウンド今昔
シンガポールで生まれ育った人々ならではの原風景を辿ると、我々外国人にはピンとこないものに遭遇することがあります。国民の8割以上が暮らすHDB団地(シンガポール住宅開発庁による集合団地)の一部として欠かせないプレイグラウンド(遊び場)は、そのひとつといえるでしょう。
シンガポール国立博物館でプレイグラウンドを回顧する展覧会を開催
現在、シンガポール国立博物館では、「The More We Get Together: Singapore’s Playgrounds 1930 – 2030」展を開催中(~9月20日まで)。国内でのプレイグラウンドの事始めから、建国期のコミュニティ醸成への関わり、現在から未来へあるべき姿を模索するところまで垣間見ることができます。20世紀初頭の旧英国植民地時代のシンガポールは、国の近代化と共に移民が激増して住環境を悪化させ、子供たちが安全に遊べる場の確保すら難しくなりました。道路沿いや工事現場近くで外遊びをする子供たちの安全を憂う両親からの新聞投稿をきっかけに、ビジネスマンたちの寄付による基金が立ち上がり、1928年頃公共の広場にシンプルな遊具を導入した最初のプレイグラウンドができました。その動きはシンガポール改良信託(SIT: Singapore Improvement Trust、HDBの前身)の公共団地に受け継がれ、1965年の建国以降のHDB団地にも標準設備として設置されてきました。
1970年代に入り、HDBの意向で地元住民のアイデンティティに繋がるシンガポールらしいモチーフをプレイグラウンドのデザインに導入する流れに。ドラゴン、鳩、スイカやマンゴスチンといったトロピカルフルーツなどを象ってモルタルにモザイクを施した遊具は、特に住民に親しまれました。残念ながら1990年以降の安全規定の見直しに伴いその数は激減し、現在では砂場の代わりにウレタン樹脂系舗装材が敷かれ、安全な設計、塗料や素材からなる遊具が導入されています。海外または地元デザイナーによる新たな発想が取り入れられ形は変われど、住民が憩い交流する場の意味に変わりはありません。近い未来に実現すべきプレイグラウンドのデザイン公募を呼び掛けて、展覧会は締めくくられています。
ランドスケープ(風景)はメモリースケープ(憧憬)に
1970年代の特徴ある遊具は、30代半ば以上の住人なら誰もが懐かしく思う一方で、現代の若者から見ればレトロでポップに見えることも。ドラゴンやスイカなどのデザインがインスタ映えすると話題となり、そのデザインは雑貨や小物にもなっています。特に話題となったプレイグラウンドの多くは、1969年にHDBに入庁しデザイナーとして活躍したコー・イアンギーさんによるもの。「当時、各々のHDB団地の共有スペースに10メートル四方のプレイグラウンドが用意されました。設置する遊具は、多民族・多文化を背景とする住民たちがそれぞれ親近感を持ち、皆に愛されるものというのがテーマでした」と、コーさん。デザインだけでなく資材も地元で入手できるものを中心に考案されました。
例えば、当時アッパーブキティマ地区にあったパイプ製造工場で作られたセメントの水道管。頑丈な造りで表面はスムーズ、小さい子供でも安全に遊べたので、適当な長さのものを半分地中に埋めてウサギなど動物の体の一部に見立てました。モルタルを施しイタリア製のガラスタイルをモザイク状に埋め込んで遊具の表面を装飾したものは、色あせることなく洗えばすぐきれいになる手入れのしやすさも好評だったとか。一方で、様々な試行錯誤もあったとコーさんは言います。「ヘンリー・ムーアの彫刻のフォルムを模した遊具も制作しましたが、遊具がアート作品のように見えて遊ぶ子供が少なかった。あれは今一つ。遊具は、子供たちが自由に走り回って遊び、触れて楽しめるものでなければ。また、周りで見守る保護者がどの角度からも子供の安全を確認できることが大事です」
現在、国内のデザイナーも増えて公園やプレイグラウンドには個性的な遊具が目に付きます。コーさんは将来のプレイグラウンドについて、「ストレスも多い現代ですから、自然に近い緑が多くあり、魚が泳ぐ池や小川を配置したり、大人も子供も一緒に自然の匂いや感触を楽しめるものがいいでしょう。全天候に強い装置で、IT技術を取り入れたインタラクティブな遊具も面白そうです」と答えてくれました。コーさんのアイディアにはプレイグラウンドの普遍的なテーマと、時代やコミュニティへの愛情が詰まっています。それがデザインに投影されてこそ人々のアイデンティティや心の憧憬となり、時代を問わず愛される存在になるのかもしれません。
取材・写真: 桑島 千春