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熱帯綺羅

2016年3月21日

古き良き時代を残すショッピングセンター 「ビューティーワールド・センター」

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ビューティーワールド・センターはMRTビューティーワールド駅出口の目の前にある。
向かい側のチョン・チン・ナム・ロードは飲食店が複数並んでおり、こちらもにぎわいを見せている。

 

昨年12月27日に開通した、島の中心部から北西部に伸びるMRTダウンタウン線の第2期区間(ブギス駅~ブキ・パンジャン駅)。それまで付近にMRT駅がなかったシックス・アベニューやアッパー・ブキティマの住民からは、シティまでの交通の便が良くなったと大いに歓迎されています。

 

新設された駅を見ていると、アッパー・ブキティマ地区に地名でもなく観光施設名でもない「ビューティーワールド(中国語表記:美世界)」という駅名が目に入ります。一体どんな美の世界が広がっているのか、気になって実際に駅を降りてみると、飲食店が軒を連ねたショップハウスが建ち並んでいるほか、「ビューティーワールド・センター」というショッピングセンターなどにその名称が使われているところ以外、ごく普通の街並みです。なぜ「ビューティーワールド」と呼ばれているのか、どうやらこのセンターの名前に所以がありそうですが、施設内もネイルサロンやマッサージ店が数店入居しているだけで、クリニックや日用品店の老舗などがほとんど。その答えは、同センターの歴史にありました。

 

「ビューティーワールド」誕生の歴史

日本軍がシンガポールを占領していた第二次世界大戦中、現在のビューティーワールド・センターがある一帯には、映画館やダンスホールなどが入居する「グレーター・イースト・アジア(大東亜、ダ・ドン・ヤ)」という遊園地がありました。戦後、破損状態になってしまったその土地は再開発され、1947年に食料品や日用品が揃う市場が誕生します。その際、地主だったギアム・コックエン氏が、娘の名前にあった「美」と当時の娯楽施設でよく使用されていた「世界」を組み合わせて英語に訳し、「ビューティーワールド・マーケット」と名付けました。

 

市場は人気を博し、規模は徐々に拡大。1960年代には出店数が100店舗以上となり、その一帯は「ビューティーワールド・パーク」と呼ばれるようになりました。しかし、拡張に伴って火事や電気のトラブル、付近で渋滞の発生といった問題も増加。それを受けて、個人事業者が集う施設「ビューティーワールド・センター」の建設が計画され、1984年に完成すると、パーク内にあったほとんどの店舗が同センターへと移転することになりました。

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センター内を案内してくれたマネジメントオフィスのトーマス・テオさん(写真右)とスー・ホックフィーさん(写真左)。
写真中央は、同センターを管理する不動産企業ナイト・フランク社(Knight Frank Estate Management)のアルフレッド・ウーさん。
「シンガポールの古き良き時代を感じられるので、たくさんの日本人の方にも訪れてもらいたい。
現在、日本食店など日本にまつわる店舗がほとんどなく、出店などビジネスの相談も受け付けています」(トーマスさん)

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