2009年8月17日
熱き料理人を魅了した、チキンライスの底力
チキンライス教授と食すチキンライス
この日、小柴さんと訪れたのは、Purvis Streetにあるイェットコン(逸群)という海南レストラン。鶏油がしっかり効いたご飯に、やさしい甘味のあるジューシーな鶏肉がとても美味しく、店内は世代を超えたお客さんでいっぱいでした。お向いにあるチンチン(津津)や瑞記と並んで海南チキンライスのオールドスクール(元祖、伝統派)のひとつに数えられるお店です。
そもそもチキンライスの始まりは1920年頃とされ、海南街でバナナの葉に包まれた丸いライスボールの形で売られており、50年代頃から、皿に盛られる今のスタイルで供されるようになったとか。当時の時代を反映して、コミュニストチキンとも呼ばれていたそうです。
我々に比較的馴染みのあるブントンキー(文東記)や、天天、五星、威南記などは、海南風に広東風味をブレンドさせたニュースクール(新興派)で、鶏肉の上にライトソースがかけてあったり、鶏スープにバターを混ぜてご飯が炊かれたりしているもので、今の世代に愛される味として変化したものです、と小柴さんが教えてくれました。
ブログや「海南鶏飯食堂cookbook」にみられる、小柴さんの食の知識は、来星する度に人の記憶を辿るような語りかけを通して、まるでジグソーパズルのピースを集めるかのように積み上げてきたそう。そのパズルが完結するのは30年先だと、チキンライス教授こと小柴さんは言います。
文= 桑島千春
写真=Eugene Chan
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.151(2009年08月17日発行)」に掲載されたものです。