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熱帯綺羅

2009年8月17日

熱き料理人を魅了した、チキンライスの底力

チキンライス教授と食すチキンライス

この日、小柴さんと訪れたのは、Purvis Streetにあるイェットコン(逸群)という海南レストラン。鶏油がしっかり効いたご飯に、やさしい甘味のあるジューシーな鶏肉がとても美味しく、店内は世代を超えたお客さんでいっぱいでした。お向いにあるチンチン(津津)や瑞記と並んで海南チキンライスのオールドスクール(元祖、伝統派)のひとつに数えられるお店です。

そもそもチキンライスの始まりは1920年頃とされ、海南街でバナナの葉に包まれた丸いライスボールの形で売られており、50年代頃から、皿に盛られる今のスタイルで供されるようになったとか。当時の時代を反映して、コミュニストチキンとも呼ばれていたそうです。

我々に比較的馴染みのあるブントンキー(文東記)や、天天、五星、威南記などは、海南風に広東風味をブレンドさせたニュースクール(新興派)で、鶏肉の上にライトソースがかけてあったり、鶏スープにバターを混ぜてご飯が炊かれたりしているもので、今の世代に愛される味として変化したものです、と小柴さんが教えてくれました。

ブログや「海南鶏飯食堂cookbook」にみられる、小柴さんの食の知識は、来星する度に人の記憶を辿るような語りかけを通して、まるでジグソーパズルのピースを集めるかのように積み上げてきたそう。そのパズルが完結するのは30年先だと、チキンライス教授こと小柴さんは言います。

 

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『海南鶏飯食堂cookbook』。洗練されたこだわりの装丁に、中華、インド、プラナカン料理などお馴染みのレシピの他、シンガポールの街角を切り取った写真や海南鶏飯食堂のストーリーを掲載。(現在品切れ、重版未定)

「大好きなシンガポールの食事情で、今憂いていることは、数々の美食を作るホーカースタンドの作り手にシンガポール人の若者をほとんど見かけないことです。」と、後継者不足を指摘する小柴さん。食文化はその国の大切なアイデンティティーであることは誰もが知るところ。外国人である小柴さんほどにホーカーフードの行く末を考えるシンガポール人が多くいることを願ってやみません。

 

文= 桑島千春
写真=Eugene Chan

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.151(2009年08月17日発行)」に掲載されたものです。

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