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熱帯綺羅

2012年5月21日

ノスタルジックな風景にモダンが映える「アンシャン・ヒル地区」

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Screen Shot 2015-07-30 at 1.10.21 pm平地がちなシンガポールには、海岸線を見下ろせる小高い丘も少なく、植民地時代からそれらの土地は希少価値がありました。アンシャン・ヒルもその1つで、シンガポール経済の中心ラッフルズプレイスの高層ビル街と景観保存地区のチャイナタウンとの境にあり、クラブ・ストリート、アンシャン・ロード、アースキン・ロードに囲まれています。この界隈は、昔日の姿を残したまま、トレンドを生み出す営みが混在しており、今やシンガポールでも珍しいエリアのひとつかもしれません。

 

始まりは、ナツメグとクローブのプランテーション

Screen Shot 2015-07-30 at 1.10.33 pmアンシャン・ヒルという名前は、その閑静な佇まいに相応しく、漢字では「安祥(穏やかな)山」と書きます。19世紀中頃、イギリス人のチャールズ・スコットがこの丘でナツメグとクローブのプランテーションを開き、当時はスコッツ・ヒル(Scott’s Hill)と呼ばれていました。彼の死後、別の地主を経て、マラッカ生まれの福建人の商人である謝安祥が1894年に購入し、以降、アンシャン・ヒルと呼ばれるようになったのです。謝安祥は、スパイス、錫、茶葉、シルクなどを扱うイギリスの貿易会社に長く勤務した後、独立して製材業を営んで成功を納めた華人でした。 氏がアンシャン・ヒルを購入する少し前から、1889年にビジネスで成功した海峡華人達の社交場である「チャイニーズ・ウィークエンド・エンターテイメント・クラブ」が丘の上に建てられたことを筆頭に、いくつかの会員制クラブが集まり始めていました。クラブ・ストリートがその名を冠した由来でもあります。丘を下ったアンシャン・ロードやクラブ・ストリート界隈には、1930年代前後から同郷や同業者のための会館が立ち並び、また、中国からの労働者が仕送りを送るための送金所や、非識字者の彼らのために文書作成を代筆する店が多くあったそうです。それらの会館などでは、新しくこの地に来た縁のある人々をあらゆる側面で援助する機能もあったため、出稼ぎにきた人々が、華やかな様子のこの丘を見上げながらサクセスストーリーを夢見描いていたかもしれません。

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