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熱帯綺羅

2013年4月1日

プラナカンの文化が息づく「Baba House & The Intan」

 

プラナカンの骨董品を展示 ザ・インタン

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もともとプラナカンの人々が多く住んでいたジューチャットにあるザ・インタンも、テラスハウスを改造したもので、家の主のプライベート・コレクションが展示されています。

 

 

この邸宅に今も住み続けているアルヴィン・ヤップ(Alvin Yapp)さんは18歳の時にプラナカンとしてのアイデンティティーに目覚め、骨董の家具や陶器、ビーズのサンダルや装飾品、ケバヤと呼ばれるブラウスやバティックなどを集め始めました。今、それは家の中にさりげなく置かれ、生活の中に溶け込んでいます。

 

 

圧巻は階段にずらっと並べられた琺瑯びきの花瓶とティフィン。お弁当箱として使用されていたティフィンは、丸いお重をいくつか重ね、ハンドルを付けたものです。もともとヨーロッパで使われていたらしいのですが、マレー半島にも伝わってティンカットとも呼ばれ、さまざまなデザインのものが作られました。ヨーロッパ風のパステルカラーに中国風の花模様、そしてマレー語、さらにタミール語の文字が刻まれたティフィンは、シンガポールの多民族文化を象徴するようなお弁当箱です。

 

 

それらのアンティークに囲まれて日々を過ごすアルヴィンさんに、シンガポールのプラナカンの特徴について尋ねると、しばらく考え込んでいました。服装や料理に、マラッカ、ペナン、シンガポールのプラナカンはそれぞれ趣向が少しずつ違うと言います。ただ、プラナカンがシンガポールで繁栄した時期は20世紀前半頃のほんの30年から40年。どんな違いがあったか、今それを検証するのは難しいそうです。

 

 

「裕福なプラナカンの中でもアジア大陸最南端のプラナカンはもっともリッチになったと言われてますが?」という記者の質問に、アルヴィンさんは笑いながらこう答えてくれました。「それはシンガポールがマレーシアより豊かになったからそう見えるのでしょう。プラナカンは少数民族なので、地域ごとに比較することはできないと思う」。

 

 

銀食器を磨きながら、7代目のババとして生きるアルヴィンさんはギャラリーのような家の中を見回しました。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.231(2013年04月01日発行)」に掲載されたものです。
文= セガラン郷子
写真=セガラン郷子

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