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熱帯綺羅

2014年4月7日

シンガポールの歴史が眠る丘。保存危機の「ブキ・ブラウン墓地」

 

日本占領期の影響

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また、リー・クアンユー顧問相の祖父、リー・フンリョン氏(1871-1942)の墓も安置されていました。リー・フンリョン氏はインドネシアとの間で蒸気船を運行する船会社の取締役として財を成し、ラッフルズ・インスティテューションなどへの多額の寄付でシンガポールの教育を発展させました。驚くことに、没年として日本の「皇紀」が刻まれていました。「彼が亡くなった時期が日本占領時代だったことが理由」と、ガイドのスティーブンさんは解説しました。

 

ブキ・ブラウンは1942年2月、日本軍と英連邦軍の戦場になった場所でもあり、犠牲になった兵士や民間人たち、戦争功労者も埋葬されています。こうした一つ一つは、日本とシンガポールとの関わりを現代に残す貴重な記憶です。

 

 

 

 

「忘れられた墓」

都市再開発庁(URA)などによると、墓地は初の華人向け公営墓地として1922年、英植民地政府によって開設されました。しかし、1944年に埋葬地がいっぱいになり1973年に閉鎖。多くの墓は手入れされず、ジャングルに覆われていきました。子孫からも存在が忘れられた理由の一つは戦争です。クレアさんによると、当時の混乱や、年長者の死亡で手がかりを失い、先祖の墓の場所がわからなくなった家が多いとのこと。再開発計画で逆に活発化する歴史学者らの調査の成果により、先祖との再会を果たした家族も多いといいます。

 

 

クレアさんは、「ブキ・ブラウンは移民、海洋貿易、国際結婚、植民地政策、戦争など、多層な歴史が詰まった場所。一度失われたらもう取り戻せないのです」と話します。今後の墓地の行方は不透明ですが、シンガポールで暮らす我々にとって知っておくべき歴史が眠る土地です。誰でも立ち入り可能ですが、ツアーの機会を利用すれば、より深く理解できることでしょう。

 

 

 

 

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この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.254(2014年04月07日発行)」に掲載されたものです。
文= 石澤由梨子
写真=石澤由梨子

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