2015年1月19日
昔懐かしい味を今日も街角で「アイスクリームおじさん」
甘く冷たいノスタルジア
今では清潔で整然としているシンガポールの街並ですが、昔は多くの移動型屋台が存在し、サテーやラクサなども路上で歩き売りされていたそう。しかし衛生上の問題で、80年代半ばにはほとんどの移動型屋台はホーカーセンターに集められ、路上で屋台を見る機会はぐっと少なくなりました。幸いにも冷凍品のアイスクリームは調理の必要も腐敗の心配もないため、現在でも約300台の屋台が国家環境庁(NEA)の許可を得て営業しています。
シンガポールの歴史に詳しいブロガーで、昔からアイスクリーム屋台が大好きだったというジェローム・リムさんによると、彼の幼少時代には家のすぐ近所までベルを鳴らしながら屋台が来て、安いものだと5セントから買えたそう。当時は「アイスボール」と呼ばれるかき氷をおにぎりのように握ったものもあったとか。今でも時々屋台でアイスクリームを買うというジェロームさん、「今も昔もこのアイスは僕の大好物で、食べると懐かしい気持ちにさせてくれるんだ」と照れ笑いします。
タクシー運転手から転身、チュアおじさんのアイスクリーム屋台

口数少ないチュアさんと、常に明るい笑顔の妻エミリーさん。「お互い違う場所で店を出していることが多いけど、食事の時はいつも合流して一緒に食べます」という仲睦ましさ。
10年程前からベドック周辺でアイスクリーム屋台を営んでいるチュア夫妻。夫のチュア・ケンリーさんはバイク、妻のエミリー・タンさんはバンに乗り、同じ区域内で二手に分かれて営業しています。種類は、コーン、カップ、ウェハースやパンサンドなどのスタイルが選べ、値段は50セントから2Sドルまで。味は定番のバニラやチョコレート、さらにシンガポールならではのドリアンなど、約15種類が揃います。
以前は2人ともタクシードライバーをしていたそうですが、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行。タクシー業界も打撃を受け、転身を決断したそうです。「その頃訪れたオーチャードのアイスクリーム屋台に人がいっぱい集まっていたのを見て、これは良いかも、挑戦してみよう!と決めたの」とエミリーさんは当時を振り返ります。「タクシーを運転するより、人々の笑顔を見ることができるアイスクリームを売る方が楽しいわ」。
そんなチュア夫妻の1日は、朝8時に問屋でアイスクリームを調達する事から始まります。商品を補充し、保冷剤のドライアイスをカートに入れ、下ごしらえ。その後、学校やHDB周辺を中心に移動しながら夜10時頃まで営業。好調な日は2人合わせて1日300〜500Sドル程の売り上げがあると言います。
ソーシャルメディアで広がる将来性
年々忙しくなっているというチュア夫妻。人気上昇の理由の一つは2012年から始めたFacebookファンページ。決してITが得意ではない2人ですが、ビジネス発展のためにと親戚からすすめられて挑戦し、他のライバル屋台と一線を画しています。それ以降、イベントの仕事が急増し、チュアさんの手帳を見ると週末は結婚式などのイベントの予約でいっぱい。「既に半年先の予約まで入ってきているんだよ」とうれしい悲鳴を上げていました。
「体力的に決して楽な仕事ではないけれど、これからも元気が続く限りアイスクリーム屋台を続けたい」と語るチュアさん。急速な発展により古き良きものが一つまた一つと姿を消しているシンガポールですが、この暑い日差しが照りつける限り、アイスクリームおじさんの人気は今後も衰える事はないでしょう。
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.273(2015年01月19日発行)」に掲載されたものです。
取材・写真:船崎 ゆう子