シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX表紙の人TOP佐藤 信康さん

表紙の人

Vol.289

2015年10月5日

佐藤 信康さん

KEISUKE SINGAPORE ダイレクター

AsiaX289_cover幼少の頃から料理が好きで、20歳の時に和食の世界に飛び込む。東京に店を構える「日本料理 鴨川」など数店で修行を重ね、和食の技術を磨いた。31歳の時、独立を視野にマネジメント能力や利益構造など経営者目線を身につけたいと、「土風炉(とふろ)」などのフードチェーン店を手掛ける「ラムラ」に転職。そこで当時の料理開発担当料理長、後のらーめんけいすけ創業者の竹田敬介氏と出会う。竹田氏が起業した後は、その新たな会社に参加。神田にある居酒屋の店長を務めていたが、東京駅の「東京ラーメンストリート」に店舗を開業するに当たり、店長を任されることに。長年、和食の世界にいた佐藤さんが初めてラーメンの世界に足を踏み入れた瞬間だった。「懐石料理は最初から最後までいくつもの料理を食べて総合評価をしてもらえますが、ラーメンは目の前の一杯が良い評価を受けないともう次はない。いつも真剣勝負ですし、一杯の重みがあると感じました」。
2010年にはKEISUKEシンガポール出店のために家族と来星。ダイレクターに就任し、順風満帆かと思いきやそうではなかった。当時、シンガポールでは「ラーメン=豚骨」のイメージが根強く、海老のダシでとった海老そばを看板メニューにしていた同店の業績は振るわなかった。業績悪化のあおりで開業から1年後に家族と共に一時帰国。しかし、会社がシンガポールでの形態を豚骨ラーメンに切り替えてからは着実に業績が伸び、再び単身赴任で来星。現在は8業態、9店舗を経営するまでになり、佐藤さん自身も店舗管理、料理開発、物件探し、店舗立ち上げ業務など、現場から売上管理まで多岐にわたる業務を担当している。
休みの日は、今や趣味ともいえる郊外のショッピングモール巡り。息抜きの意味もあるが、シンガポール人のトレンドリサーチがメインだという。「自身の苦い経験から言いますと(笑)、“日本のものが一番”という意識では失敗しやすい。日本食のいい部分を残しながら、シンガポールで受け入れられるものを模索しなければと思います。日本料理の経験を生かしながら、これからもシンガポールにない新しいものを提案し続けていきたいですね」。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.289(2015年10月05日発行)」に掲載されたものです。

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