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2008年4月21日

アクバル以後のムガル時代(歴史8)

前回はインド亜大陸を征服したムガル帝国において、1556年に即位した第三代アクバルの時代までについて記しました。今回はアクバル以後のムガル帝国について記します。
アクバルの後ジャハンギールとシャー・ジャハーンの二代は、比較的平穏な時期で、アーグラの城砦やタージ・マハルが造営されるなど経済・文化両面で繁栄を極めた時期でした。タージ・マハルは、皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために、1630年から22年の歳月をかけて建設された墓廟です。

 
シャー・ジャハーンの後は4人の息子たちによる後継争いが起き、三男のデカンの太守アウラングゼーブが勝利を収めて皇帝となりました。彼は父王をアーグラ城に幽閉し、競争相手の兄弟の命を次々に奪ったのでした。これにより自分の墓を愛妃の墓タージ・マハルの対岸に作るというシャー・ジャハーンの願いは断たれたのでした。

 

 

アウラングゼーブが治世した50年の間に、ムガル帝国の版図は最大となりましたが、諸地域での各宗教を基盤とする集団による反乱の鎮圧に没頭せざるを得ない状況が続きました。なかでも北西部のパンジャーブ地方では、16世紀はじめにナーナクが開いたシーク教が領主層や農民の間に広まりました。ジャハンギールは帝国の支配にとってシーク教は危険であるとして、第五代グル(教主)であるアルジュンを捕らえて処刑したため、シーク教徒は軍隊を組織し、しばしばムガル帝国と衝突しました。そしてその後も帝国に対して敵対活動を行っていくこととなりました。

 
アウラングゼーブは政治、軍事の統率力を持った皇帝であって、イスラム教スンニ派の忠実な信徒でした。一方で彼は、ヒンドゥーに対しては古い寺院の破壊を命じたり、非ムスリムに対してだけ人頭税を課すなどしました。このような政策が、ムガル帝国に対するヒンドゥー諸勢力の反抗を助長したのでした。

 
一方経済に目を転じると、17世紀のムガル時代はインドの商業と貿易がこれまでにない繁栄を遂げた時代でした。この時代インドの人口は1億5000万人と推定され、その8割以上が農村に居住していました。しかし都市の人口の比率は19世紀よりも多かったと言われるほど、都市が膨張した時代でした。なかでもデリー、アーグラ、ラホールなどは、当時世界でも有数の大都市で、その巨大な人口、繁栄する商業、豊富な商品は、訪れたヨーロッパ人を驚かせました。

 
この時代の商品作物としては、穀物、野菜、果実のほか、植物油、塩、砂糖、綿織物が主要なものでした。加えてジャガイモやタバコなど多くの作物がポルトガル人によって導入され、これらの栽培も始まりました。

 
17世紀は綿織物などのヨーロッパへの輸出が著しく増大した時代でした。この輸出がインド経済に与えた影響は大きく、貿易港の周辺地域では綿織物、絹織物などの生産が飛躍的に増大し、国内の商業を活発にしたのでした。

 
商人の間では貨幣経済が発達し、金融業が栄えました。また簿記も発達しました。このように17世紀にインドの一部はかなり進んだ経済の形態に達しましたが、資本主義経済は生むことができず、その前にイギリスによって征服されることとなりました。インドでは高度な技術を持つ職人を多数低賃金で雇用することができ、そのことが技術革新への投資関心を弱め、資本主義経済を成立させられなかったと言われています。

 
ムガル帝国は、アウラングゼーブの死後急速に崩壊に向かい、皇帝の統率力は失われていきました。18世紀はインドの危機の時代と言われています。

 
この時期領域の諸地方ではムスリムの太守がつぎつぎに実質的に独立し、またヒンドゥーの諸勢力も帝国のしばりから離れて、それぞれ領域を拡大していきました。

 
この間イギリスは、マドラス、ボンベイ、カルカッタを根拠地として着々と実力を蓄え、フランスと争いながら貿易、商業の利権を獲得し、18世紀中ごろからインドの領土を奪い、植民地侵略に着手することとなりました。この時期は、ムガル帝国とイギリス帝国両時代の幕間の時代と言われます。
次回は経済で、インドの鉄鋼業界ついて記します。

文=土肥克彦(有限会社アイジェイシーauthor

福岡県出身。九州大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。東京本社勤務時代にインド・ダスツール社と協業、オフショア・ソフト開発に携わる。
2004年有限会社アイジェイシーを設立、ダスツール社と提携しながら、各種オフショア開発の受託やコンサルティング、ビジネス・サポート等のサービスで日印間のビジネスの架け橋として活躍している。
また、メールマガジン「インドの今を知る! 一歩先読むビジネスのヒント!」を発行、インドに興味のある企業や個人を対象に日々インド情報を発信中。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.120(2008年04月21日発行)」に掲載されたものです。

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