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2019年5月25日

特集 – シンガポールの 債権回収の実務(下)

 

 取引相手や請求先が貸したお金を返してくれない、商品の代金を払ってくれない――このような経験をしたことはありますか?どうやったらお金を回収できるのか、具体的な方法はあるのか、考えあぐねている人も多いはず。今回は、具体的にシンガポールの公的機関を利用した債権回収の実務について解説します。
 

1. はじめに

 
 シンガポールにおける債権回収の実務として、前半(瀧口豊「シンガポールの債権回収の実務(上)」AsiaX345号2019年5月号2頁)では、法的手続を行う前段階で考慮すべき事項や事例を見てきました。後半となる本稿では、主に法的手続について解説していきます。
 
 なお、本稿は、一般的な債権回収に関する情報を紹介することを目的とするもので、以下に挙げる架空の事例を含めて、特定の事案のアドバイスにわたるものではないことを付言いたします。
 

2. 時効期間の確認

 
 法的手続を考える際、まず、債権が行使可能となった日(典型的には契約で定められた弁済期日)からどれくらいの期間が経過しているかを確認することが重要です。原則として、債権が行使可能となった日から6年が経過した場合、支払請求をすることは難しくなります。シンガポールにおける債権(契約や不法行為に基づく債権)の消滅時効期間は原則として6年間とされているためです。
 
【事例 1】

2010年2月1日、サプライヤーは、メーカーであるA社との間で、商品の売買契約を結びました。その契約では、売買代金を1万5,000Sドル(約123万円)とし、弁済期日を2010年3月31日とすることが合意され、サプライヤーはこの契約に基づいて商品を引き渡しました。しかし、A社は弁済期日までに代金を支払いませんでした。サプライヤーは、A社との間で別商品の大口取引の交渉が進んでいたため、あえて売買代金の支払いを催促しませんでした。しかし、サプライヤーの社内の調整の遅れにより、大口取引の計画は水に流れてしまい、A社による 1 万 5,000S ドルの支払いもうやむやになってしまいました。その後、サプライヤーは、2017 年 5 月になって、A社に「商品の代金 1 万 5,000S ドルを支払って下さい」と求めました。A社がこれに応じなかったため、サプライヤーは訴訟で、1万5,000Sドルの支払いを求めました。

 

 事例1において、サプライヤーがA社に対して1万5,000Sドル(約120万円)の債権を有していたことは疑いがありません。しかし、当該債権が行使可能となった2010年3月31日から既に6年以上が経過しています。そのため、サプライヤーが訴訟を提起して1万5,000Sドルの支払いを求めても、消滅時効により請求が認められません。
 
 時効の完成を妨げるためには、原則として、債権の行使が可能となった日(弁済期日)から6年が経過する前に裁判所への訴訟提起が必要になります。もっとも、消滅時効期間が経過した場合であっても、債務者が任意に支払うことはできますので、債権者として、債務者に任意に支払いを求めることは可能です。なお、債務者が債権者に対して債務の存在を認めていたり、債務の一部を支払っている場合は、消滅時効の進行がリセットされることになり、時効は完成しません。その結果、債権者は引き続き債務者に対して支払いを求めることができます。

 

3. 裁判所の選択

 
 さて、債務者が任意に支払いに応じない場合、いよいよ法的手続に進むことになります。すなわち、裁判所に訴えを提起することになります。シンガポールの裁判所はいくつかに分かれており、どの裁判所に訴えを提起できるかを確認する必要があります。
 
 なお、契約で仲裁や調停による解決が定められている場合には、裁判所ではなくこれら機関に申立を行うことになります。
 
(1)少額訴訟法廷(Small Claims Tribunal)
 
 まず、請求額が原則として1万Sドル(約81万9,000円)以下であれば、少額訴訟法廷を利用することができます。少額訴訟法廷のメリットは、手数料が安く、本人が(弁護士に依頼せずに)訴訟を遂行するため、費用を安価に抑えられる点や、審理判断が迅速であり、紛争の早期解決に資する点などが挙げられます。少額訴訟法廷を利用できる要件は以下のとおりです。
 
ア.契約類型
 
 まず、少額訴訟法廷を利用することができる類型は、次の5つです。
 
1) 物品売買契約(例:TVの購入)
2) 役務提供契約(例:マッサージや宅配便)
3) 不法行為により生じた物害
  (自動車事故により生じた債権は除く。例:花瓶を壊された場合の損害賠償)
4) 2年を超えない居住用不動産の賃貸借契約(例:デポジットの返還や賃料未払い)
5) 自動車預り金の払戻し(例:ディーラーが自動車のデポジットを返還しない場合)
以上の類型からも分かるように、大多数の少額債権が少額訴訟法廷の審理対象となり得ます。
 
イ.債権額
 
 次に、少額訴訟法廷を利用することができる債権額は、原則として1万Sドル以下です。もっとも、例外的に、当事者の合意があれば、上限額を2万Sドル(約164万円)まで引き上げることができます。
 
【事例 2】

サプライヤーはメーカーB社に対して、5万Sドル (約406万円)の商品を販売しました。サプライヤーは B 社から、3万 5,000S ドル(約 287 万円)の支払いを受けましたが、1 万 5,000S ドルについてはまだ回収できていません。そこで、サプライヤーはB社に対して、1万5,000Sドル分の代金の支払いを求めました。ところが、B社は既に1万5,000Sドルを支払ったと主張して、支払いに応じません。サプライヤーは少額訴訟法廷を利用して未払金の回収をしたいと考え、B社に、少額訴訟法廷の利用額の上限の引き上げにつき合意を求めました。B社も、1万5,000S ドルを支払ったことについてコストをかけずに確定させておきたいと考え、少額訴訟法廷の上限額の引き上げに合意しました。

 
 事例2の場合、少額訴訟法廷の上限額の引き上げにつき合意がなされているため、サプライヤーは、B社に対し、少額訴訟法廷で1万5,000Sドルの支払いを求めることができます。
 
ウ.請求提起の期間
 
 少額訴訟法廷を利用するためには、債権の行使が可能となった日(弁済期日)から1年以内に請求を提起する必要があります。
 
エ.手続の特徴
 
 少額訴訟法廷の特徴としてまず挙げられるのが、手続全体を通し、弁護士による手続代理が許されていないという点です。当事者同士が請求に関する主張・立証を直接行い、簡易迅速な紛争解決が図られることになります。なお、これにより、債権者としては、弁護士費用をかけずに済む反面、自ら訴訟を遂行しなければならないため不安を覚えることもあろうかと思われます。
 
 少額訴訟法廷に訴えを提起すると、聴聞期日の前に必ず協議期日が設けられます。協議期日は、両当事者の主張を担当裁判官が把握して紛争のポイントを整理し、かつ、実効的な紛争解決を目指して当事者間で話合いを行うための期日です。協議期日でも紛争の解決が図れない場合は聴聞期日が設定されて審理が行われ、担当裁判官が請求の可否を決定することになります。
 
 なお、少額請求法廷は、当事者が簡易迅速な紛争解決を目指す場合の選択肢の一つと位置付けられています。したがって、当事者は、仮に上述の要件を全て充足している場合であっても、少額請求法廷をあえて利用せず、請求額に応じた管轄裁判所へ通常訴訟を提起することも可能です(この場合、弁護士に訴訟手続全般を代理してもらうことが可能です)。
 
(2)治安判事裁判所及び通常訴訟
 
 少額訴訟法廷に訴えを提起する場合を除いて、請求額が6万Sドル(約491万円)以下の民事訴訟については、治安判事裁判所(magistrate court)に訴えを提起する必要があります。また、請求額が6万Sドル超25万Sドル未満の場合は、シンガポール地方裁判所が管轄を有しています。そして、請求額が25万Sドル(約2,000万円)以上の場合は、高等裁判所が管轄を有しています。このように、請求額によって提起する裁判所が異なるのがシンガポールの訴訟制度の特徴です。
 

4. 訴訟の遂行

 
(1) 呼出状及び訴状の提出
 
 少額訴訟法廷を除く裁判所へ訴訟を提起する場合、原告(債権者)は呼出状及び訴状を用意して裁判所に提出する必要があります。呼出状には、債権者本人及び債務者の氏名のほか、係属する裁判所、事件番号、訴訟代理人等を記載します。訴状には、請求額に加え、請求に関連する事実や請求の法的根拠を簡潔に記載します。
 
(2) 呼出状及び訴状の送達
 
 呼出状及び訴状を裁判所に提出した後、原告は、これらの書面を被告(債務者)に送達する必要があります。原告は、これらの書面を、原則として債務者に直接交付しなければなりません。一方、債務者が会社である場合、当該書類を会社の登録住所に送ることで足ります。
 
 外国へ送達する場合、訴訟の提起から1年以内に呼出状及び訴状を送達する必要があります。しかし、海外への送達は、送達する国の法律に従って行われなければならないため、容易ではないほか、時間もかかります。例えば、日本にいる債務者に送達をする場合、当該書類は日本の法律に従って送達される必要があります。加えて、国外送達の場合、書類が当該外国の法に従って送達されたことを証明する追加宣誓供述書を提出しなければならず、手続きがより複雑です。
 
(3) 被告の出廷及び反論・反訴
 
 呼出状及び訴状が被告に送達された後、被告が出廷して反論する意図がある場合、被告は出廷覚書を提出します。この提出期限は、書類の送達から8日以内です。その後、14日以内に反論書面を提出します。したがって、万が一、皆さんが被告となり、呼出状及び訴状を受領した場合には、速やかに対応を検討し始めなければなりません。
 
 被告が、原告の請求に付随して、原告に対して反対に請求を行う場合(反訴と呼ばれます)、反論書面と同時に提起する必要があります。原告は、場合に応じて、欠席判決又は反論不存在の判決を受ける権利を得ます。
 
(4) 原告の反論
 
 被告が原告の請求を争う場合、原告は、被告の主張に対して反論することになります。反論の期限は、被告の主張書面を原告が受領してから14日以内です。原告と被告のそれぞれが主張に通常1か月をかける日本の訴訟と比べると、単純計算で2倍のスピードで当事者の主張が繰り広げられることになります。
 
 被告の主張に対する反論において、原告は新たな争点を提起することは原則としてできません。原告の反論は、被告が提起した争点のみに焦点を当てる必要があります。原告は、考え得る請求を初めの段階で行う意識を持つ必要があります。
 

5.判決の執行(差押手続)

 
 訴訟の結果、債権者が勝訴判決を得た場合、敗訴した債務者は、裁判所が認めた金額を債権者に支払わなければなりません。また、裁判所は、それまで債権者が負担した訴訟費用の一部についても支払う命令を下す場合もあります。
 
 しかし、債務者が判決どおりの支払いをするとは限りません。裁判所の勝訴判決を無視して、支払いを拒み続ける場合もあります。そのような場合には、勝訴当事者である債権者は、以下の執行手続により、債務者から債権回収を図る必要があります。債権者は、勝訴した後、差押及び売却許可を裁判所から取得することにより、債務者の財産を差し押さえることが可能となります。
 
 債務者の動産が差し押えられた場合、債務者は、任意に未払金を支払う最後の機会を与えられます。もし債務者がこの段階でも支払いをしない場合、債権者は競売を申請し、差し押さえた動産を売却し、売却代金から未払金を回収することができます。
 

 
【事例 3】

サプライヤーは、メーカーである C 社に対し、1万Sドルの支払いについて勝訴判決を得ましたが、それでもC社は1万Sドルの支払いに応じません。そこで、サプライヤーは、強制執行に進むこととし、C社の事務所に飾ってある高級な壺を競売しようと考えました。

 
 事例3において、C社に対して勝訴判決を得ているサプライヤーは、強制執行手続の中でC社の壺を競売することができます。もっとも、サプライヤーは、壺を競売にかける手続的な負担や予想される競売価格などを総合的に考慮し、実際に競売にかけるかどうかを判断することになります。場合によっては、競売の姿勢を示して交渉を行い、債務者から任意の支払いを引き出すことも考えられます。
 

 

6.仮差押命令

 債権者が訴訟で勝訴判決を取得し、さらに差押手続まで完了させれば、債権回収は確実にできるようにも思われますが、思わぬ落とし穴があります。強制執行までに債務者の財産がなくなってしまい、債権回収ができなくなることがあるのです。こうなると、勝訴判決も、絵に描いた餅に過ぎません。
 
【事例 4】

サプライヤーは、メーカーであるD社に対し、1万Sドルの支払いにつき勝訴判決を得ましたが、それでもD社は 1万Sドルの支払いに応じません。そこで、サプライヤーは、強制執行に進むこととし、D社が利用している銀行口座の預金債権を差し押さえました。しかし、D社は、サプライヤーが差押えをする直前に当該銀行口座から預金を全て引き出しており、残高は0でした。

 

(1)落とし穴
 
 事例4のように、せっかく勝訴判決を得て差押えをしたとしても、債務者が差押前に財産を全て隠してしまった場合には、債権者として、債権回収することが困難になります。このような事態が考えられる場合、あらかじめ差押命令を取得しておく必要があります。差押命令を取得しておかなかったばっかりに、せっかく取得した勝訴判決がただの紙切れになってしまったという例は実務でもよくありますので、注意が必要です。
 
(2)資産凍結命令
 
 差押命令の一つとして、資産凍結という手段があります。日本人や日本企業が債務者である場合に特にあり得るのですが、債務者がシンガポールから海外に財産を移転することがあり得ます。例えば、債務者が日本人駐在員の場合に、駐在の終了に伴って、シンガポール国内にあった預金を日本の銀行口座に移動してしまうことなどです。このような事態が想定される場合、資産凍結の申立を検討しましょう。裁判所が申立を認め、資産凍結がされると、債務者は資産を動かすことができなくなります。
 
 もっとも、資産凍結命令は、被告の銀行口座、株式の取引及びその他の金融取引を全て凍結するものなので、被告へ与える影響が甚大なものとなります。そのため、資産凍結をするためには、債権者は、被告である債務者が判決の実効性を妨げる行為をしている可能性が非常に高いことを証明する必要があります。したがって、実務上のハードルはかなり高いものとなります。これを検討する場合には、弁護士の意見を聞くことをお勧めします。
 

7.終わりに

 
 今回は、債権回収をする際にシンガポールで採り得る法的手段を紹介しました。なお、当然ではありますが、法的手続を採る場合は、費用倒れになる可能性や現実的な回収の可能性など、様々な事情を考慮する必要があります。本稿が、債権回収でお困りの皆様の一助となることを願っております。
 
※1Sドル=80円で換算
 
ケルビン・チア・パートナーシップ
登録外国弁護士(日本国弁護士)
菅谷 伸夫

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