2011年4月18日
シンガポールで患者本位の医療を追求し続ける
ニホンプレミアムクリニック 院長 橋口宏さん
診察室へ入っていくと「どうぞ」と白いひげをたくわえた氏のにこやかな笑顔に迎えられた。「好々爺」ということばが頭に浮かんだが、闊達そうな様子に「そのことばを使うのはまだ早い」と咎められそうだ、と頭の中で引っ込めた。
橋口氏がシンガポールに来たのは1983年。その前の約5年間は米ニューヨークのコロンビア大学医学部外科で当時新設されたばかりの人工臓器・臓器移植部の講師として学生達を指導する傍ら研究に取り組んでいた。が、実は元々英語嫌い。講義の初日は、不慣れな英語での説明に「講義内容を後で秘書にタイプしてもらってほしい」と生徒に言われた。
研究環境も、大学や研究室に整えてもらえた日本とは大きく異なっていた。自分の研究内容を膨大な量の資料に英語でまとめ、プレゼンテーションを行って研究費を自力で獲得しなければならない。油断すると研究内容を他の研究者に盗まれる始末。まさに生き馬の目を抜く厳しい環境だった。同じ時期に採用された研究者20人のうち、5年後には、助教授になっていた橋口氏を含め2人しか残っていなかった。おかげで、シンガポールで様々な問題に直面しても「ニューヨーク時代に比べれば全然まし」と笑い飛ばせる余裕が身についた。
海外に日本の医療を「輸出」しようという試みが母校の岡山大学を中心に進められていることを知り、現在のジャパン・グリーン・クリニック(JGH)立ち上げに参画すべくニューヨークから来星。日本の医師免許を持つ橋口氏がシンガポールで医療行為を行うためには、まず総合病院での6ヵ月の研修が課された。
日本から来たもう一人の医師と共に研修を受けることになったが、1980年代前半は、第二次世界大戦中の日本軍占領下での過酷な時代の記憶を生々しく持っている人々も多かった頃。研修の現場でも、日本人というだけで嫌味を言われたり、嫌がらせを受けることがあった。
しかし、当時日本国外にはほとんどなかった、在外邦人のための医療機関を自分達が立ち上げるという強い意志で研修をやり遂げ、シンガポール厚生省から一般医としての免許が下りることになった。ただし、患者として対象にできるのは日本人の外来患者のみ、という条件付き。日本人以外の患者にも医療を提供できるようにしたかったが、まずはクリニックを作ることだとその条件で進めることになった。
GHで「日本人医師による日本人のための医療」を提供する形を確立し、15年後に今度はパークウェイ・グループの日本メディカルケアー設立に携わることに。地元の私立総合病院内にクリニックを設け、患者の状態に応じて総合病院内の専門医へすぐに紹介できるシステムを作り上げた。システムそのものはうまく機能するようになったが、一旦専門医へ紹介してしまうとその後の患者のケアが自分ではできないことに、時にジレンマを感じるようになった。
「患者さんにとって本当に良い形は何か」――JGH時代から25年以上かけて、橋口氏が試行錯誤しながら考え出した新たなアイディアを実現すべく、「ニホン プレミアム クリニック」が誕生した。
「専門医の出前」今までできなかったことを形に
2009年5月に開院した「ニホン プレミアム クリニック」は総合病院であるタントクセン病院に隣接するノヴィナ・メディカル・センターの中にある。ここで橋口氏が実現したかったのが「専門医の出前」。これまでに橋口氏がシンガポールで築き上げてきた医師同士のつながりの中で、信頼できる医師を厳選して同クリニックの「リーグ」に入ってもらい、リーグの中の専門医に患者を診るためにクリニックまで来てもらう、というものだ。従来の「患者が医師のところへ診てもらいに行く」のとはまったく逆の発想だった。
日本人の患者には橋口氏と海外経験豊富な女医の広田医師が総合診療医として診察を行い、皮膚科専門でクリニックの設立から携わっているラウ医師やリーグ内の専門医にも必要に応じて入ってもらいながら治療を進めていく。専門医の所属先で治療を行う場合も担当の総合診療医が患者の診察に付き添い、専門医の診断や説明を一緒に聞く。専門知識を持った医師がそばに居て、日本語でも質問したり確認できることは、日本人患者にとってはやはり心強い。
同クリニックでは、1人あたり15分は診察時間を取るようにしている。そのため予約が優先となるが、予約なしでも受診は可能だ。日本の現在の医療システムの中では、ほとんどの診療科目で診察に毎回15分もかけることは現実問題としてなかなか難しい。患者にとってはむしろ日本以上に恵まれた状況といえる。
「患者本位」を追求する橋口氏は、患者にとっての「便利さ」も重視する。その表れのひとつが検査から結果が出るまでの時間の短縮化。レントゲンだけでなくCTスキャンやMRIでも、検査の当日に結果を患者に伝えられるシステムを構築した。検査結果は即座に電話で医師に知らされ、検査で得られた画像などもすぐに転送されて、診察室のデスクに設置された大型の画面で映し出せる。日を改めて来院しなくて済むので患者にとっても大きな負担軽減だ。
平日午後5時半から8時までの夜間診療や日曜日午前の日曜診療なども、患者にとっては便利な医療サービス。さらに、平日は夜11時まで、土曜日も夜9時まで携帯電話での時間外連絡先を設けている。もっとも、時間外の問い合わせは以前に比べればずいぶん少なくなっているという。「時代の変化だと思います。インターネット環境が整って、皆さんある程度は自分で調べて対応することが可能になったからでしょうね」と橋口氏は見ている。
外科医の座右の銘「鬼手仏心」
大阪で生まれ育った橋口氏の家は、両親も姉も医師といういわば医者一家。岡山大学医学部卒業後、研修を経て外科を専門に選んだ。理由は「悪いところをはっきり見ることができるから。」また、医学知識だけでなく、手術の際には手先の器用さや目の前の状況に即した判断力、行動力が求められるなど、頭だけでは仕事にならない難しさがむしろ良いと思った。「父が内科医だったので、内科は選ぶまいと思っていた」というのは、氏が意気盛んな若者であったことを伺わせる。ちなみに眼科医だった母親は、橋口氏にいつも眼科に進むことを勧めていた。将来は一緒に病院をやろう、自分が手術できなくなったらお前が手術を担当しておくれ、とよく話していたという。氏が外科を選ぶことにしたと告げた時は、さすがにがっかりしていたそうだ。
映画好きで、『コーラス・ライン』の中でブロードウェイを夢見るダンサーたちが合言葉にしていた“Yes, I can”は、学生時代から好きなことば。「100%オプティミスティックなんです」と自らについて語るが「それでなければこの仕事はやっていけない」とも。時に患者の命に関わる判断を下し、治療を施してきた医師としての責任の重みが伝わってくる。
座右の銘は、外科医である氏らしく「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」。意味は文字通り「鬼の手に仏の心」。外科医が手術で患者の体にメスを入れる時、ためらいのない手の動きは時に冷酷で鬼のようだが、その心には目の前の患者を救いたい、という仏の心を宿している。穏やかに微笑む橋口氏からにわかに「鬼手」は想像し難いが、「患者本位」の理想のクリニックを追求し、自らのアイディアを大胆に実現している姿は、やはり「鬼手仏心」の具現といえそうだ。
Nihon Premium Clinic
Novena Medical Center 10 Sinaran Drive 307506
TEL:6397-2002
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.187(2011年04月18日発行)」に掲載されたものです。
取材=石橋雪江