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座談会

2017年10月26日

スマートシティ実現最速国の呼び声高い、シンガポールの都市開発の歴史と今

「都市」ではなく「国土」づくりから
1970年代から都市化スタート

 

AsiaX:近隣諸国に目を向けてみると、道路の敷設の仕方など、あまり計画的に開発がなされていない印象を受けることがあります。一方、シンガポールはすべてが整備されている。これって、当地は独自の歴史をたどった経緯があるなど、何か理由があるのでしょうか?

 

木村:在住歴がもっとも長い私がお話ししましょう。シンガポールがマレーシア連邦から独立したのは1965年。非マレー系住民への差別政策に反対した人民行動党(PAP)のリー・クアンユーが、統一マレー国民組織の合意のもと、袂を分かつことで成立しました。ただしシンガポールは水すら自給できない状態でしたから、以降、どうやって国を成り立たせ、国民を食べさせていくかという問題に直面してしまった。その根本政策となったのが、国土開発です。

 

堤:なるほど、当時は都市開発よりも国自体の開発を主軸にしていたのですね。

 

Soon_Lee_Bus_Park_and_Jurong_Industrial_Estate_aerial_view木村:その通りです。マレーシアにおける市場を失ってしまったので、海外からの投資を誘致しようと考えました。こうして生まれたのがジュロン・タウン・コーポレーション(現・JTCコーポレーション)です。人口密度の低かったジュロン地区を工業地(写真上)と定めた、いわば工業投資開発誘致国家公団のようなもの。これが成功を収め、1970年代前半にはかなりの経済成長を達成することになります。

 

田中:ビル建設が最初に進んだのが1970年代ですよね。

 

木村:シンガポールは国面積が小さいので、景気が国全体に反映されるのが早い。オフィスビルは特に顕著で、UICビルディング(1973年)、DBSタワー1(1975年)、ホンリョンビルディング(写真右)、インターナショナルプラザ(ともに1976年)と、一気に建設が進みました。シンガポールが都市として盛り上がってきたのはこのあたりからです。

 

IMG_1178AsiaX:定かではないのですが、ホンリョンビルディングの建設工事は日系企業が携わっていたと聞いたことがあります。日系企業が当地の都市開発に関わるようになったのは、この国が、国家レベルで開発を進めていこうと舵取りした初期段階からだったのでしょうか?

 

木村:都市開発という大きな文脈では、そうだとは一概に言えませんね。街で日本車を見かけることもほぼない時代でしたから。というのも当時はまだ反日のムードが残っていたのです。戦後、その賠償として日本がセントーサ島にパラボラアンテナを創設したりしましたよ。日系企業が都市計画に関わりだしたのは、1980年代後半以降じゃないでしょうか。

 

田中:インフラ整備であれば、弊社は1960年代から行っていました。インフラ整備は期間を区切っての仕事ですから、比較的早い時代から関わることができたと言えます。一方、時間を要する都市開発への参入はもう少し後になり、1980年代のリージェント・シンガポールの開業や、ミレニア・シンガポールの不動産開発と続きました。

 

鳥羽:私どもは建設ではなくデザイン部分を担っているのですが、建築家的視点では、シンガポールの都市開発に日本が関わるようなったのには、リー・クワンユーが日本のモデルを大事に思ってくれていたことがあるのでは、と感じています。彼が丹下健三を当地の都市開発の相談役に任命したというのは、有名な話です。

 

堤:それは言えていますね。

 

鳥羽:イギリス統治時代にゾーニングされた中華系、マレー系、インド系エリアの再編と、セントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)の再開発に、丹下健三が関わっているのでは、という見方があるのです。

 

国家が主導する2つの開発プラン
国土が小さいからこその機動力

 

田中:もともと漁村から始まって、トマス・スタンフォード・ラッフルズが植民地化に携わり、中国人とインド人などが集まることで自然発生的に都市化が進みました。人口が世界大戦前後に増加を続けた結果、都市開発が追いつかず、19世紀の街並みで20世紀の都市活動を行っている、なんて言われた時期もあるそうですよ。

 

堤:そういった流れの中で制定されたのが、国土開発指針となる「マスタープラン」ですか?

 

田中:マスタープランが最初にできたのは1958年と、独立前のこと。1971年に、40〜50年という長期的スパンで国土の有効利用を策定した「コンセプトプラン」というものができたのです。シンガポーリアンが自分の意思を以って、国の方針を定めたのはこの頃じゃないでしょうか。

 

鳥羽:コンセプトプランは国連主導だったと記憶していますが、コンセプトプランが実際のスタートと言えるでしょうね。

 

田中:コンセプトプランに関連して発行されたランド・ユーズ・プランには、たとえば国土の何%を何に使うかまで決まっています。道路などの交通インフラに割く面積は約12〜13%。意外と多いと思いませんか?そうすると、なるべく自動車をシェアしてもらえると駐車場面積が少なくてすむな、自動運転を導入できれば車線を減らせるな、など、都市計画を担う役人は、日々、考えているはず。土地の希少性が高いシンガポールならではだと感じます。

 

堤:シンガポールはこのマスタープランやコンセプトプランの内容が明確で、かつ政府から民間への情報開示もなされていますから、周辺国よりも計画的に開発しやすいというメリットがありますね。

 

鳥羽:ちなみに、シンガポールの建国当時の人口ってどのくらいかご存知ですか?

 

田中:うーむ、150〜160万人とか?

 

鳥羽:近いですね。190万人ほどです。いまや570万人ほど。人を増やすことこそ、国を強くする術であり、小さな国土において都市を機能させる肝であると、リー・クワンユーが理解していたというのが、この国が発展したポイントだと思うのです。そうしたうえで、ガーデンシティといったテーマを掲げて突き進んできたのが、成功の鍵。

 

IMG_1202

 

木村:なるほど。

 

鳥羽:いまの建築家たちは、この国土のサイズを逆手に取ろうとしている。世界で注目されている「スマートシティ(最新IT技術の導入で暮らしやすい街を作ろう)」を完成させる可能性がもっとも濃厚な国と言われていますよ。

 

木村:国土が小さいからこそ、方針を素早く決めて、素早く実行できるわけですね。

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