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ビジネスインタビュー

2008年7月21日

シンガポールから始まる、サービス型ビジネスモデルのサクセスストーリー

富士ゼロックスアジアパシフィック プレジデント 柳川勝彦さん

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富士ゼロックス・シンガポールをはじめ、台湾、韓国、香港、タイ、マレーシア、オーストラリアなどアジアパシフィックの11拠点を取りまとめる地域本部が、富士ゼロックス・アジアパシフィック。昨年7月に同社プレジデントに就任した柳川氏は、シンガポールを拠点にアジア・オセアニア各国を文字通り飛びまわっている。「月間のシンガポール滞在日数はほとんどひと桁」と多忙を極める氏に貴重な時間を頂き、お話を伺った。

 

作って売るだけではない、Fuji Xeroxのサービス

富士ゼロックスといえば複写機を連想する方も多いだろう。「ゼロックス」という言葉自体が複写機の代名詞になっており、英語で「xerox」は、「コピーする」という意味の動詞として使われる。コピー、プリント、スキャン、ファックスなど多機能な複合機全盛となった現在も、富士ゼロックスは複合機の「メーカー」としてのイメージがやはり強い。

 

「メーカー」という発想から、製品が何台売れているかといった数字でその力を測ろうとする向きもあるが、柳川氏は「台数だけが問題ではない」と言い切る。「我々は、機械をお客様に買っていただくだけでなく、サービスによって付加価値を生むことを目指しています。その方向性は、資源も乏しく、人口も450万人ちょっとのシンガポールがITを最大限に活用し、付加価値を極限まで追い求める知識集約国家を目指している国の方針ともマッチすると考えています。」富士ゼロックスが標榜する「Document Company」ということばにもあるように、「ドキュメントのマネージメントにおけるプロフェッショナルである」というのがスタンスだ。

 

「ドキュメントマネージメント」がもたらすもの

では、富士ゼロックスの提供する「ドキュメントマネージメント」は、一体ユーザにとってどう良いのだろうか。そもそも「ドキュメント」とは?そんな疑問に、柳川氏が答える。「昔はドキュメントといえば紙に書いたものだけでした。ところが、今は電子化された情報もすべて『ドキュメント』です。商品紹介パンフレットなど紙媒体からワープロソフトで作成する文書はもちろん、写真や、コンピュータの画面上に表示される情報、プロジェクタに映し出される情報などもドキュメント。電子化されればサイズの大小、色、位置なども好きなように修正できて、保存もできます。紙の書類と違って、スペースも取らない。そのために必要な技術を富士ゼロックスが提供し、お客様がドキュメントを自在に操れるようにすることが、社会への貢献にもなると考えます。」

 

例えば、どこのオフィスでも必ず必要な領収証の管理。シンガポールでは、決算報告時の会計資料に添付する領収書はスキャンイメージなど電子化されたもので一部提出可能となっているが、そのような国の取組みも、技術の裏づけがあるからこそ、実際の仕組みに適用、運用することが可能になる。

 

また、暗号化技術や認証技術によって、個人情報や機密情報など取扱いに注意を要するドキュメントでも、本来アクセスする権限を持ったユーザだけが利用できるよう、制限・管理することもできる。既にこういったセキュリティ機能を利用しているユーザも多いことだろう。「これらのセキュリティ技術と、ドキュメントをハンドリングする技術が、現在のビジネスシーンで求められているものであり、富士ゼロックスが長年に渡って培ってきたノウハウが生かされるところです」と、いう氏のことばに、「Document Company」としての自信と誇りが伺える。

 

「ドキュメントマネージメント」成功事例

事例1保証書の電子化

ある電化製品販売チェーン店に、お客様が購入された電気製品保証書の電子化を提案。購入時にお客様へ手渡される紙の保証書では、数ヵ月後、あるいは数年後に本当に必要となる時にはすぐに見つからない、というのは良くあるケース。しかし、富士ゼロックスの保証書電子化ソリューションの導入により、保証書の情報が本社のサーバ内で一括管理され、どの支店からもいつでも必要な時に参照できるようになった。お客様は万一の故障などの際に、購入したお店以外に訪問しても、保証の有無や有効期限などの問合せができるようになり、お客様へのアフターサービスの質が向上しただけでなく、お客様の再来店率や再購買率向上にも繋がった。

 

事例2配達伝票の電子化

配達が希望通りの日時に届かなかったり、購入した商品とは異なった商品が配送された場合などは、お客様が購入したお店に問合せをするには紙の配達伝票が通常は必要。多くの場合は電話での問合せとなるが、オペレータになかなか繋がらなかったり、延々待たされた挙句に繋がってもたらいまわしにされる、ということがある。ある配送会社に商品注文/配達伝票の電子化を提案、導入した結果、配達状況の追跡が可能になり、リアルタイムで情報の更新・参照が可能になった。お客様から配達時間の確認や変更、また誤って違う配達先へ商品が届いてしまった場合などにも、即座に配送作業員に対する正しい配達先への変更指示などが容易になり、顧客サービスの向上につながった。

 

各国の販社同士や、販社と本社をつなぐかけ橋

柳川氏が率いる富士ゼロックス・アジアパシフィックは、各国及び地域で販社として活動する富士ゼロックスの拠点同士、そして各拠点と本社との間をつなぐ重要な橋渡し役を担っている。韓国で成功したソリューションをシンガポールでも展開する、といったことが可能なのは、シンガポールを拠点としながらも、他の国々の拠点にも常に目配りする同社があるからこそ。そして、そのマインドを持つことを可能にしているのは、やはりシンガポールという地だから、と氏は言う。「小さな都市国家で、自国のことだけでなく、常に他国のことも見ているのが当たり前なのがシンガポール。他にはなかなか無い特性ですし、その点では本当にやりやすいですね。」

 

今一番元気が良い上海、北京などの都市を持つ中国や、市場として大きいオーストラリアなどももちろん気になるが、氏のアンテナがシンガポールを外れることは無いという。「シンガポールはサービスに関心が強く、新しいことを考えたらサービスとして売っていく、という考えが成り立ちます。今後そういったサービス型のビジネスモデルがどんどん増えるでしょう。国としても積極的に電子化に取組んでいますし、機械の販売以上に自分達の持つ技術を活用したサービス型のビジネスモデルに力を入れている我々にとっては最高の環境です。逆にここで成功できなければどこに行っても成功はないという気持ちでやっています」と氏は語る。投資というと、工場建設やビル建設などハードへ向かいがちだが、シンガポールの場合はソフトへ投資するという考えがありうる。「そういう土壌がある国だからこそ、地域本部を置くにふさわしいと判断されたのでしょう」と、富士ゼロックス・アジアパシフィックがシンガポールに設置された理由を分析する。

 

出だしの行動力が決め手――海外勤務を楽しむコツ

柳川氏が海外勤務を初めて経験したのはアメリカ。自分はもちろん、家族の誰も英語を話せない状態で、周囲に日本人などいないコネチカットの小さな街で、家族全員がカルチャーショックを受けた。当時小学校に上がったばかりだった子供は現地校での新しい学校生活になじめず、途方にくれて泣くばかり。そこで、家族全員である約束をした。「1日に何回失敗したかを家族みんなに報告すること。」家族の中で、一番多く失敗した人が勝ち、というゲームに、子供は嬉々としてその日に学校でどんな失敗をしたか報告してきた。その結果、失敗を恐れなくなり、瞬く間に学校生活にも順応して、数週間後には合衆国国歌を口ずさみながら帰ってくるまでになった。失敗を恐れることなく、最初の段階でどれだけ動けるかがその後を決める大事な要素になるということを、身を持って体験し、学んだ出来事だったという。

 

その後、アメリカ西海岸へ転勤したほか、上海、台湾、シンガポールと海外勤務経験もすっかり豊富になった。そんな氏が新天地へ赴任後、まず最初にやることは街中をとにかく歩きまわること、そしてその街の匂いを嗅ぐこと。最初にそれをやっておかなければ、たとえ好奇心旺盛な氏でも後になると「メンドクサくなっちゃう」という。

 

シンガポールでも、到着初日と2日目は、バスやMRTでオーチャード、ブギス、アラブ・ストリートをはじめあちこちをめぐったそうだ。その2日間で、ランドマークとなるような主要な場所を把握し、買い物に良さそうなエリアやレストラン、マッサージ店などもチェックした。その時にかき集めた情報だけでも、ゴルフでラウンド中に現地ネタの話題になっても問題ないそうだ。

 

どこに行っても心がけているのは、現地に気に入られようとしないこと。相手が気に入ってくれるのを待つのではダメ。自分がその土地や人を「絶対好きになってやろう」と努力する。イヤなヤツ、と思う相手がいても、じゃあどうしたらコイツを好きになれるだろう?と考えるそうだ。ビジネスを遂行するためにも、現地での生活を楽しむためにも、どれだけ現地に入り込めるかというのはキーポイント。その土地の言語を理解することももちろん大事だが、その前にまずはこちらから知り、好きになる努力をする。日本の外では、自分から何かしなければ解決しない、と語る氏が海外経験を通じて培ってきた処世術だ。

 

ひとつのことだけじゃなくいろいろやりたい

大学卒業後、「新しいものを受入れてくれそう」と富士ゼロックスに入社し、最初に赴いたのは仙台。営業としてキャリアをスタートした。5年ほど経った頃、そろそろ東京で仕事がしたい、と上司に直訴したところ、「だったら仙台で頑張れ。」わかったような、わからないような……と思いつつも、まずは仙台での仕事に力を注いだ。やがて念願かなって東京へ転勤となり、10年ほどの間に営業から経理へ異動、大学院で勉強していた時期もあった。その後海外勤務となりアメリカへ。4年後に日本の本社へ戻り、経営企画に携わった。

 

再び海外勤務となって上海でマーケティングを担当、台湾では現地販社の社長を務めた。約1年経ったシンガポールでの勤務を含め、海外勤務は通算11年。仕事の領域も、仕事をする国も様々なところをめぐってきた。いろんな経験が積めるとはいえ、決して楽な道のりではないはず。だが、「もともと好奇心旺盛なんですよ」と屈託がない。大変さも含めて、自分がいる環境をその時々で心から楽しんでいる様子が伺えた。

 

好きなことばは、アメリカの詩人ロバート・フロストの『The Road Not Taken』という詩の一節。「旅人が歩いてきて、二股の道に差し掛かった。片方の道は踏み均されて、どこかに辿り着くのは間違いなさそうだ。一方は未踏の道であって、その先はどこに行くのか全然わからない。しかし、旅人は誰も行かない道を選んだ。それが、彼の成功を導いた」というものだ。富士ゼロックス入社時に全員が聞かされることばでもあり、未開の分野に果敢にチャレンジする大切さを伝えることばとして大事にしている。

 

強固なチーム・スピリットで扉を開く

富士ゼロックス・アジアパシフィックのオフィスのあちこちに、「Break Through The Gates with Robust Team Spirit」と書かれたポスターが掲示されている。これは、柳川氏が提唱した2008年の同社のスローガン。「仕事は1人ではできません。特に我々地域本部の仕事は、同じチームのメンバーだけでなく、各国の販社との連携や、シンガポール政府との連携など、当社だけではできないことは社外とも組んで進めていく必要があります。

 

自分の中だけで考えていてはダメで、部門間で話し合って問題を解決したり、自分達以外の人達と一緒に物事を進められることが非常に大切です。それがビジネスの拡大にも繋がります」とチーム・スピリットの重要性を強調する。「そのためには、方針をトップが明確に示すことが大事。それができなければ、みんなバラバラの方向を向いて、違うことを考えてしまいますから。」氏のようなトップの存在が、社会貢献しながらビジネスを拡大するという、言うほど容易くはない命題の実現を可能にしているのだろう。

 

平日は飛行機での移動や会議など座っていることが多いため、週末は泳いだり、走ったり、ゴルフの練習場へ出かけたりと体を動かして気分をリフレッシュしているという柳川氏。社会人になって始めたマラソンでは、ニューヨークシティマラソンに出場、4時間を切る好記録で完走した実績を持つ。

 

日本に住む家族とは出張で帰った時にしか会えないが、「それぞれがそれぞれの場所で頑張っている」という。しかし、「離れて暮らしているからこそ、何かあったときには結束できる求心力を家族の中でも強化しなければ」とも。氏のチーム・スピリットの原点は、アメリカでのカルチャーショックを共に乗り越えた家族の中にあるようだ。

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柳川勝彦(やながわかつひこ)

1955年東京生まれ。1979年富士ゼロックス株式会社入社。
国内で営業、経理職での勤務を経て米コネチカット州へ。3年後シリコンバレーにあったグループの子会社へ転勤、日本帰国後は本社の経営企画部に所属。更に上海、台湾での勤務を経て、2007年7月より富士ゼロックス・アジアパシフィックのプレジデントに就任。富士ゼロックス株式会社執行役員、アジアパシフィック営業本部長も兼任。

富士ゼロックス・アジアパシフィック
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