シンガポールのビジネス情報サイト AsiaXビジネスTOP今も続く「夢への挑戦」 東京オリンピック・パラリンピック、柔道界...

来星記念インタビュー

2014年12月19日

今も続く「夢への挑戦」 東京オリンピック・パラリンピック、柔道界改革、国際交流に取り組む原動力とは

―柔道界の改革は進みましたか?

残念ながら、世の中からいじめがなくなることはあり得ないでしょうが、いじめにくい世界を作ることは不可能ではないと思います。スポーツでも日常でもフェアプレーをするという意識改革に取り組まねばなりません。取り組むべきは連盟、指導者の意識改革。私にとっては(けがをしながらも金メダルを獲得した)ロサンゼルス五輪でのチャレンジよりも、こちらの方がよっぽど難しい。でも、1人ではないですから、多くの人と心を1つにして、取り組んでいきたいと思っています。組織を良くしていくためにはとにかく皆の力を集めないといけないと思っています。

―NPO「柔道教育ソリダリティー」の国際交流活動について教えてください。

私が30代半ばの頃、病床にあった恩師、東海大創立者の松前重義先生に「日本の柔道を通して、世界で友好を深めてほしい」と言われたことがありました。30代半ばの私には、今のような活動ができるなどとは予想もつきませんでしたが、いろいろな出会いやご縁があって、2006年から、東海大の私の研究室内に、国際交流のNPO「柔道教育ソリダリティー」を立ち上げることになりました。活動のメインはリサイクルの柔道着を発展途上国へ送ることです。国際柔道連盟の加盟国は約200ありますが、その3分の2は貧しい国々です。短パンにTシャツ姿や、1着の柔道着を着まわしたりして柔道をしていますので、大変喜ばれます。指導者や学生ボランティアの派遣もしていて、東南アジアではラオスやミャンマーなどに派遣したことがあります。また、海外から指導者や選手も受け入れています。

―イスラエルとパレスチナの柔道を通じた交流が特に印象的です。

毎年冬の時期、両国の指導者と選手を一緒に日本へ呼んで交流事業をしています。イスラエルとパレスチナの指導者が互いに「母国に帰ったら同じ畳の上に立つということはあり得ないね、考えられないね」と言っています。でも子供たちが大きくなったころには両国の柔道家が同じ場所で柔道ができるような、そんな未来を作りたい、そう願って続けています。

―交流で、心がけておられることは?

活動を通して、和の心、柔の心を伝えることも大切にしています。日本に興味や関心を持ってもらい、正しい認識を持ってもらう。滞在を受け入れた時には、東海大日本語学科の協力を得て選手らに日本語の指導もしています。押しつけではなく、柔道の技やルール、「一本」や「有効」などは日本語なので、皆さん人一倍興味が強いんですね。だから、海外の人には、必ず実技指導だけではなく、講話をします。その中で話すことの1つは「戦う相手は敵ではない。相手がいるから、自分を磨き高めることができる。敬意と尊敬の気持ちを示すために、お辞儀、礼をする」ということ。どんな宗教の方も、納得して礼をしていますね。もう1つは、(講道館柔道の創始者)嘉納治五郎先生の教えにある通り、単に技を上手くかけるとか、心身たくましくなるだけではない。磨き高めた心技体を日常生活や人生に生かし、より良い社会を作るのが大切だということ。強ければいいってもんじゃない。日常生活に生かすということが大事。「道」とはそういう意味ですよということを伝えます。

 

―今も様々な挑戦を続けられる秘訣について教えてください。

現役選手の頃、多くの方々から「過去に何連勝したか」ということを良く言ってもらいました。でも私の関心はそこになかったのです。「そんなの全部過去じゃないか」って。それよりもこの次の試合にどう勝つか、理想の柔道に一歩でも近づくことが大事、そういう思いでやってきました。「こんなもんじゃダメなんだ」。そんな思いで現役時代がんばってきた気がします。もし現役の頃に私が立ち止まってホッと一息ついて、過去を振り返っていたとしたら、ここまでの記録は残せなかったと思います。どこかで妥協したり、満足したりしてしまったかもしれません。今度、私が理想という山を登るのをやめる時というのは、この世を去る時ではないかなと思います。その時に人生を振り返ってみて、「俺ってがんばってきたよな、よくやってきたな」と思える人生を送れたら最高だよな、と。だから今も「夢への挑戦」なんです。

山下 泰裕

1957年熊本県上益城郡矢部町生まれ。東海大入学後の1977年~1985年の現役引退まで、203連勝(7引き分けを挟む)、全日本柔道選手権9連覇の偉業で知られる。1984年のロサンゼルス五輪では、2回戦で肉離れを起こしながらも金メダルに輝き「世界の山下」と多くの賞賛を受ける。1984年国民栄誉賞を受賞。1992年より、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ、男子強化部長、強化副委員長・同連盟理事を歴任、2003年、国際柔道連盟教育コーチング理事に就任。2007年、紫綬褒章を受章。現在は、全日本柔道連盟副会長として「MINDプロジェクト」を展開、NPO法人「柔道教育ソリダリティー」理事長として柔道の普及、柔道を通じた国際交流に取り組む。

 

2014年12月19日
文= 石澤 由梨子

おすすめ・関連記事

シンガポールのビジネス情報サイト AsiaXビジネスTOP今も続く「夢への挑戦」 東京オリンピック・パラリンピック、柔道界...