2013年7月15日
観光政策が示唆するシンガポールの近未来
21世紀に入ってからのシンガポールは、国土の姿形をも様変わりさせながら、その政治的安定、経済力、ライフスタイルなど今や世界的に知られる都市国家の位置づけを築いてきた。それに追随するように、観光産業の飛躍も著しく、2002年から2012年の観光収入も平均して年間10%以上、シンガポールを訪れる観光客数は年平均6.6%と堅調な伸びを続けてきた。
2003年のSARS勃発や2008、9年の金融危機により一時的にその伸びが大きく落ち込むことはあったが、その後世界初のフォーミュラ・ワン(F1)夜間市街地レース開催、マリーナベイサンズやリゾートワールドセントーサの2大総合リゾート施設の完成の勢いに乗り、2012年度の統計では、230億Sドルの収入をもたらすまでになった。この数字は、2002年度と比較すると約250%増、現在のシンガポールのGDP全体の4%にあたり、16万人の雇用を生み出している。
シンガポール観光振興局がSTBの前身として1964年に設立された当時、観光産業が将来的にシンガポールの基軸産業の1つになるとし、セントーサ島の開発やシンガポール動物園設立を含めたインフラ整備が始められた。その頃のビジョンは、当時の想像を超えて今に具現化したといっても過言ではないだろう。
今年5月に開催された観光産業向けのSTB主催の会議において、今後の観光業の成長の見通しについて、従来通りの成長を目指すも周囲のアジア諸国の発展を見るに楽観視できない現状と、近い将来への具体的なビジョンの方向性などが伝えられた。シンガポールへの観光客の過半数は、インドネシア、中国、マレーシア、オーストラリア、インド、など汎アジア諸国からだ。2015年から、バンコクでF1レース開催、韓国や上海で近々ユニバーサルスタジオがオープンされるなど、アジア近隣諸国の観光客誘致の取り組みはシンガポールを脅かすものともなり得る。STBとしては、汎アジア諸国からの来星者数を今後も伸ばしていくために、その国ごとの国民性に合ったシンガポールの魅力をアピールしたり、より富裕層寄りにターゲットを絞ったクオリティ重視のサービス、例えば医療ツーリズムを推進するなどの策を打ち出している。国を丸ごと世界へアピールする重要な役割を担っているシンガポールの観光政策を見渡し、シンガポールの現在と近未来を考察したい。
目次
お国別、グローカルなPR戦略
シンガポールへの観光客誘致のため、国別に異なるアプローチをかけたSTBのプロモーション展開が功を奏している。国民性や価値観、ライフスタイルが異なる各国が持つシンガポールのイメージとは?観光客の消費額上位5ヵ国(インドネシア、中国、インド、オーストラリア、マレーシア)をターゲット国に定めてその国でマーケットリサーチを行い、シンガポールの魅力を伝える国ごとのイメージ戦略に出た。
SINGAPORE-THE HOLIDAY YOU TAKE HOME WITH YOU
体験、学びで家族やパートナーとの絆を深めるホリデーへ
経済上向きのインドでは、観光地を巡るだけのお決まりの海外旅行のスタイルから、ホリデー志向に変わりつつある富裕層がターゲット。キャンペーンのキーワードは、ライフスタイル、家族、ロマンスそして食。シンガポールの豊かさを全面的に打ち出し、洗練された都市、ダイナミックな生活スタイルというイメージを確立した。新しいことにチャレンジしたいという好奇心旺盛なインド人はとてもアクティブ。イルカと一緒に泳ぐツアーやプラナカン料理を学ぶクッキングクラス、スカイダイビングやサーフィンなどのアクティビティに精力的に参加し、有意義な時間を過ごすのが彼ら流。新しい体験やスキルを得る旅を好む傾向に着目したSTBは、家族や愛するパートナーとともに楽しむ、体験する、学ぶことで、さらに絆を深めようと謳う、プロモーションを行った。
GET LOST AND FIND THE REAL SINGAPORE
ローカルライフに触れるオリジナルな旅へ
オーストラリア人が抱くシンガポールのイメージは「ストップオーバーの国」。シンガポールといえばシンガポールスリングといったありきたりな印象が強く、シンガポールの素顔はまだまだ知られていないのが現状だ。モダンな都市でありながら、多民族国家が形成する異文化と歴史的な魅力がほどよく調和し、バラエティ豊かなローカルフード、充実したエンタメやナイトライフの認知度はそれほど高くない。そこでSTBが打ち出したのは、オーストラリア人の冒険心をくすぐる手法。彼らにとっては未知の世界であるローカルライフに一歩踏み込むことで、ひと味もふた味も違った旅が楽しめると宣伝。例えば、旧正月などのイベントやハジ・レーンでのショッピング、ホーカーでのローカルフードなどを体験してもらう。自分たちの足で自由自在に探索して、素朴なローカルライフに触れる――そんな個人旅の魅力を提案した。
中国、インドネシアやマレーシアは?
パッケージツアーがいまだ主流の中国でも、オンライン予約を通して、個人で訪れる旅行者が増加中。ユニークかつ新しい体験を旅に求めるそんな彼らへのメッセージは、「NEW DISCOVERIES」。シンガポール出身の歌手ステファニー・スンが観光大使を務め、最旬の観光スポットやアトラクションだけに限らず、あまり知られていない地元のライフスタイルもどんどんアピール。
一方、お隣のマレーシアと最大マーケットのインドネシアは、シンガポールに近く、大多数の旅行者は個人旅行のリピーターだ。すでにシンガポール情報に詳しい旅行者が多いことから、「ONLY IN SINGAPORE, RIGHT NOW!」をキャッチコピーに、シンガポールだからこそ開催できるビッグイベントや展示会、話題のレストランのオープニング情報など、国内とほぼ同じタイミングでアップデート。気軽に足を運べる憧れの国という位置付けに成功した。
次なる星(しん)名所、続々登場
まさにこれから、シンガポールが世界に向けてアピールしていく新しい観光スポットは、スポーツとアートのハブ、そしてマンダイ自然地区。注目のメジャー施設をご案内。
東京ドームが7.5個も入る37ヘクタールの広大な敷地に、アジア最大となる本格的なスポーツ複合施設が2014年4月に誕生する。大規模なスポーツゲームが観戦できるスタジアムをはじめとした様々なスポーツ施設のほか、ウォーターフロントには、ショッピングエリアやレストランエリア、カラン流域では、ドラゴンボートレースやローイング競技用の開発も進んでいる。完全開閉式のドームとなるスタジアムが完成すれば、シンガポールでサッカーやラグビーのワールドカップ誘致も夢ではない。スポーツイベントだけでなく、ビッグアーティストのライブコンサートやイベントにも近隣諸国からファンが駆けつけるようになると、観光客数増加も十分期待できる。
2012年9月にオープン後も着々と拡張を続けるシンガポール最大のアート地区、ギルマン・バラックス。英国植民地時代の旧兵舎を利用したお洒落なアート空間には、14のアートギャラリーのほか、レストランも併設されており、アートを愛でる人たちの注目のスポットとなっている。なかでも要となるのが、2013年第4四半期にグランドオープンを控えた現代美術センター(Centre for Contemporary Art、以下CCA)。ここは、南洋理工大学(NTU)とシンガポール経済開発庁(EDB)による、アーティスト育成を目的とした国立リサーチ機関。常設展示はなく、年4回ほどの展覧会開催のほか、セミナーやワークショップなども行われる予定だ。特筆すべきは若きアーティストを併設のスタジオに迎えて創作活動を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム。世界的に活躍するアーティストをホストとして招き、4ヵ月〜1年の期間に分けて、約20人のアーティストの卵が入居する。
シンガポール北西部に位置するマンダイ地区は、ジャングルのような熱帯雨林がまだ残る、自然と観光産業が共存するエリア。2013年4月には世界各地の淡水動物300種以上を集めた、アジア初となる川のテーマパーク、リバーサファリが開園したばかり。ここには、ミシシッピ川、ナイル川、メコン川、ガンジス川など世界の7大河川をテーマにしたアトラクションがあり、それぞれの川に生息する動物の姿を間近に見ることができる。今年末までにオープンを予定しているアマゾン・リバー・クエストは、アマゾン川流域に生息する動物30種以上を実際にボートに乗って川を下りながら観察できるというもの。このほか園内には、すでに人気を博しているカイカイとジアジアに会えるジャイアントパンダフォレストもあり、見どころ満載だ。
現存する自然を生かしながら作られた動物園とナイトサファリもあるマンダイ自然地区の開発には紆余曲折もあると思われるが、将来的には、ホテルやレストランなどのレジャー施設建設の可能性も秘めている。
日本人観光客の傾向と、観光産業からの期待
シンガポールへの日本人観光客数も2012年度は対前年比16%増加となり、75万人強の来星があった。2011年5月から日本で放映されたCMの撮影場所にマリーナベイサンズ(MBS)が選ばれ、人気グループSMAPが出演し、シンガポールが全国的に注目を浴びたのは記憶に新しい。JTBシンガポール支店の関谷氏は、「そのCMの後、日本の各メディアにシンガポールが続々と取り上げられ、露出度が増えたことも観光客数の増加につながりました。ここ近年は、近隣アジアとの領土問題から、シンガポール方面への旅行先変更を受けての増加もあります」という。現在もMBSを目指す日本人観光客が多く、リゾートワールドセントーサ(RWS)と合わせてカジノ体験、ユニバーサルスタジオやマリンライフパークなどの新しい観光地への関心が高い。また、多種多様なローカルフード、高級レストランからB級グルメまで気軽に楽しめ、ショッピングの魅力もあることから、リピーターも確実に増えているそうだ。一方で、「急激なビザ枠の削減から、ホテル、レストラン、旅行会社等ともホスピタリティーのある人材雇用が厳しくなっており、人材不足に陥っている。ハードがいくらあっても、ソフト面の充実がなければ、リピーターの定着、ましてや増加にもつながりません。また、観光ガイドを養成する仕組みも観光産業の発展のために必要だと考えます」と関谷氏は指摘する。
MBSやRWSの好調な売り上げや観光客の訪問数の伸びが伝えられる中、シンガポールフライヤーが管財人の管理下に入るなど、一部の観光地やアトラクションでビジネス悪化のニュースも聞く。また、観光客の行先の偏りについて、シンガポール国内で問題視する声も上がっている。STBの観光政策が、ターゲットを絞ったマーケティングを展開する方向性について、必ずしも皆が前向きではない。
「観光客の訪問先は実際に偏りつつあると感じます。日本人市場が好むもの、中国のそれが好む観光施設は異なります。施設ごとにきちんとマーケティングリサーチを行い、対策を練る官民一体の観光地、素材開発に努める必要があるでしょう」と関谷氏が語るように、ミクロの発想も持ちながら産業全体の発展を目指すことが求められている。
(取材協力:JTBシンガポール支店 関谷 智さん)
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.238(2013年07月15日発行)」に掲載されたものです。
文= AsiaX編集部
取材協力:シンガポール政府観光局