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熱帯綺羅

2014年6月2日

家族での来星を支え続けて48年シンガポール日本人学校小学部クレメンティ校

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シンガポール西部、緑豊かな文教地区に立ち並ぶ白い壁の校舎。チャイムと子供たちの歓声が響く一角が、今年で開校48周年を迎えるシンガポール日本人学校の小学部クレメンティ校です。

 

 

シンガポールに初めて日本人の学校が設立されたのは1912年。一時は380人もの児童が学んでいましたが、第2次世界大戦で閉校を余儀なくされました。

 

 

戦後、再び在留邦人の数が増加するにつれて、日本の教育制度に準じた学校を求める声が高まります。日本人会での日本語補習学校の開設を経て、1966年にブキティマのダルベイエステイトにある個人住宅に教員3人・児童27人で開校したのが、現在まで続くシンガポール日本人学校です。

 

体育のマットや跳び箱は図を書いて専門店に発注

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初代校長を務めた小林昭氏の手記によれば、「教育は行われる環境と切り離しては成立しない」という信念のもと、授業に使う教材教具は極力シンガポールで調達したとのこと。希望した商品が見つからなかった体育用のマットや跳び箱、踏み切り板は、専門店に図を描いて説明し発注したといいます。出来上がった牛皮張りの跳び箱を小学校で使うと聞いて、店主が驚いたというエピソードが紹介されています。

 

 

その後、スイスコテージ、ウエストコースト、クレメンティと校舎の移転が続きます。さらに、中学部(ウエストコースト校)と小学部チャンギ校が分離、1998年になって現在の小学部2校、中学部の3校体制が完全に整いました。一時減少した児童・生徒数もここ数年は増加に転じており、今年度の在籍児童・生徒数は3校で計2,053人。世界に80校以上ある日本人学校の中でも有数の規模です。

 

 

3校に在籍する子供たちのうち、およそ1,900人が通学バスを利用して登下校しており、現在の運行台数は65台にも上ります。これほど大規模な移動が日々滞りなく行われている裏には、バスを運行する協同組合を支えてきた事務局の地道な努力がありました。

 

 

クレメンティ校で通学バスの運行に37年間関わってきた事務局主事の津田敏江さんによれば、バス会社やスタッフとの交渉は、文化の違いもあり試行錯誤の連続だったそう。定刻での運行、安全確認の徹底、路線バスに先駆けてのエアコン車両の導入など、安心して利用できる現在の状況は粘り強い交渉の結果であることが伺えます。「子供たちを毎日バスまで見送り、出迎える父母の皆さんや先生方の熱意。それがドライバーやスタッフの励みになっていることを強く感じます」(津田さん)。

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