シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX表紙の人TOP芝崎 公哉 さん

表紙の人

Vol.347

2019年6月25日

芝崎 公哉 さん

Managing Director


 1986年大阪市出身。アパレル会社を営む両親の元に次男坊として生まれる。新しいことが好きな性分で、幼い頃から器用貧乏と言われて育った。

 

 父親の影響で始めたギターと歌で音楽に明け暮れた学生時代。浪人して大学進学を果たすもバンド活動一色で就職の機を逃す。半ば現実逃避で留学を決意。浪人はたまた留学――親の顔が目に浮かぶ。そこで授業料無料の大学の交換留学生制度に応募し「親父が昔ボルボに乗っていた」という理由でスウェーデン行きを決めた。

 

 ディベート形式で進む大学の授業はまるでテニスの試合。球を打ち返すたびに白熱する議論をただうなずいて聞くだけの日々。授業を録音して何度も聞き直し、まずは課題が何かを探る。だがそのうち英語でケンカもできるようになった。帰国後は専攻の経営学と教育論を生かし、人事やサービスに狙いを定め就職活動を開始。全社内定の決め手は「自分を売り込まず、自然体を徹底できたこと」。いい人が多いと直感して選んだのがウィルグループ。この時の印象が裏切られることはなかった。

 

 海外で買収した会社へ行かないかと声がかかり、自分を大事に育ててくれた会社に恩返しする思いで即決、2013年1月に来星した。当初は文化の違いに何度もつまづく。上司と対等に意見を言う部下。朝9時に出社せず、いつもサービス残業していると主張する。会社と人を結ぶプロとして、時間を守って初めて仕事として成り立つと懇々と説明した。だが今やローカル社員の定着率は平均4年以上。夕方は社内の男衆を連れだちオフィス下のジムに行く。最初渋々参加していた部下が、時間になると急かしてくるようになった。

 

 「あの時逃げて、今がある」と振り返る。「器用貧乏」という言葉が、いつしか自分の中でポジティブに変わり、コンプレックスが原動力になっていた。雇われ社長は究極のジェネラリストであるべきとの持論がある。様々なことに気を配り、全てに80点以上の結果を出すことが責務。「器用貧乏を極めたからこそできる」と自らに太鼓判を押す。

 

 オフではフットサルチームのキャプテンを務める。また、バンド再結成に向け3歳になる息子にギターを、生まれたばかりの娘には歌を教えたい。『青は藍より出でて、藍より青し』。昨日よりも今日、今日よりも明日、良くなるように。ポジティブなスパイラルを押し進め、皆の自己実現に繋がれば本望と心から願う。

 

 

聞き手: 内藤剛志 / 写真: Peter Lee

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.347(2019年7月1日発行)」に掲載されたものです。

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