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ビジネス特集

2019年6月25日

特別寄稿『創造性の煮え立つ日本』はいずこに

経済人は、今こそ芸術に親しみ、自らの文化力を高めよ

 激動の戦後復興期を経て、高度成長期を邁進し経済大国の地位を確立した日本。それは我々日本人の「手」なしには成し遂げられなかった快挙だ。新時代「令和」を迎えた今、日本人は、丁寧、繊細、緻密、簡潔な、日本人特有の美意識を再認識し、「日本の文化力、現代アートの創造力によって、日本を再構築することが急務」と現代社会に警笛を鳴らす勇士がいる。ミヅマアートギャラリーのエグゼクティブディレクター、三潴末雄氏だ。日本の現代アートを世に広め、世界を闊歩する三潴氏の「現代アート=日本の文化」の精神を日本の精鋭たちと大いに分かち合い、「芸術に親しめる豊かさ」を取り戻すべく、今回、本誌に特別寄稿していただいた。

 

 ゴールデンウィーク明けの5月9日、冷たい雨風に包まれたイタリア・ベニス。第58回べネチア・ビエンナーレを見に来たのだが、町歩きにはコートとマフラーが要るほどで、かなり震えた。この国際美術展は2年に一度開催され、1980年代からほぼ毎回来ているが、こんなに寒い5月のベニスは初めてだ。

 

 べネチア・ビエンナーレは1895年から開催されている現代美術の国際展で、イタリア政府が後援するNPOべネチア・ビエンナーレ財団が主催している。今年は90か国が参加、会期は5月11日から11月24日までの長期にわたる。展覧会はべニス市内の歴史的な建造物を利用しても開催され、今年はなんと300を超えるアートイベントが開催中だ。特にオープン早々の時期は、世界中の美術館のディレクターやキュレーター、コレクター、ジャーナリスト、批評家、ギャラリストなど、美術関係者がどっと集まってくる一大社交の場となり、大いに盛り上がる。

 

 今回の総合ディレクターは、英ロンドンにあるヘイワード・ギャラリー館長のラルフ・ルゴフ氏。ジャルディーニ公園の中に常設された各国のパビリオンやアルセナーレとよばれる元造船所で国別の展覧会が開かれ、彼が選んだ79名のアーティストの作品展示も行われている。

 

アートは考え方のガイド――興味深い時代を生きること

 

 今回のテーマは「May You Live inInteresting Times(興味深い時代に生きることができますように)」。ルゴフ氏は、「アートは難民問題の悲劇を解決できたりしない。しかしアートは考え方のガイドになります」と語り、アルセナーレの会場にスイスの作家クリストフ・ブッシェルの作品を展示した(写真参照)。

 

 この作品、造形的な創作ではなく、実際に沈没した難民船を会場に運び設置したもの。2015年4月18日にリビアのトリポリから、リビアやアフリカの800人を超える難民を運んでいた船が、シリア沖で貨物船に衝突、沈没して多数の犠牲者を出した時のものだ。生存者はわずか71名。この衝撃的なニュースは世界中をかけめぐり、難民問題の深刻さを伝えた。その沈没船を引き上げ、ベニスまで運んで来るとは驚きだが、そのコストを考えると、難民救済に使った方が良いのではないかとシンプルに思ったりもする。最近のアートの国際展は審美的な価値よりも政治性が重んじられる傾向があり、絵画の展示が極端に少なくなった。それだけ人間が生き難い世の中になっているのだろう。今回のテーマには、こうした風潮に対する逆説的な意味が込められているのだと改めて思う。

 

「生活にアート」は、もともと日本人のお家芸

 べニスから東京に戻り、国際弁護士事務所に絵画作品の納品と展示に行ったのだが、米国人スタッフから「壁が白いのは苦痛だ」とのクレームが寄せられ、快適な職場環境を創出できるアート作品の提案を経営者から求められた。国際展とは違って、一般的には絵画の需要はいまだに高い。昨今の日本でも、斬新な設計によるビルの入口や内部のオフィスに現代アートの作品が展示されるようになってきたが、こうした白い壁に苦痛を感じる欧米人のセンスには感心させられた。そのことを友人に話すと「何を言っているんだ。日本人だって同じだ」と反論された。

 

 彼は「日本人の感性は四季折々の移り変わりを楽しみ、自然のうつろいだけでなく、床の間に初春には梅に鶯を、初夏には紫陽花、金魚、秋には栗、柿、紅葉、冬には椿、ボタン、雪景色などの四季にちなんだ掛け軸を吊るして楽しんできたのだ」と論じ、ナルホドなと、得心した。

 

 でも床の間のある家なんて、最近は滅多にお目にかからない。モダン建築になるにつれて床の間が廃れ、日本人の芸術へ寄せる感情が希薄になっていったのかもしれない。

 

 先の大戦で完膚(かんぷ)なきまでに米国などの連合国に叩き潰され、焦土化したわが日本は、まさに国敗れて山河ありの状況であった。敗戦後の窮乏生活から一刻も早く立ち直るために、国家も国民も文字通りのエコノミックアニマルと化し、芸術に親しむ心を置き忘れてしまったのかもしれない。貧しい時代を経て高度経済成長を遂げさせ、日本を経済大国として復興させた日本人にいちばん必要なのは「芸術に親しむ心」だと思う。生活にアートを取り込むのは、もともと日本人のお家芸だった。今こそ芸術に親しめる豊かさを取り戻したい。それこそ日本人の誇りとなり、日本の魅力となるだろう。

 

「日本の文化を日本人が支えなくてどうするのだ」

 

 ところが今の日本には軽薄なコトバやお笑いが蔓延している。長く培われてきた文化をルーツにもつ日本の現代アートが今こそ必要だ。深く洗練された文化を背景にした現代美術の魅力に日本人があまり興味を示さないのは残念である。日本の現代アートは日本の文化。だから日本の文化を日本人が支えなくて誰が支えるのだと常日頃から言っている。

 

 興味深いデータがある。世界最大級のアートフェア『アートバーゼル』とスイス金融大手のUBSが、2018年の世界の美術品市場は6%成長し、約7兆5,000億円(約674億米ドル)だとレポートした。市場のトップはアメリカ、イギリス、中国の3か国で、総売上高の84%を占める。米国は2%増で世界市場の44%のシェアを持ち、イギリスは21%で世界第2位の地位を取り戻し、中国は2%減少して19%のシェアで世界2位から3位へ後退した。

 

 

 一方、日本では「アートフェア東京」を主催する一般社団法人アート東京が、約2万人を対象とした「日本のアート産業に関する市場調査2018」を発表し、日本全体の市場産業規模は3,434億円と推定している。これは世界シェアの0.4%だ。日本が世界第3位のGDPを生み出していたことと比較すると、日本のアートに向かう数字がいかにミゼラブルなものかお分かりになるだろう。

 

 美術館に行き展覧会を鑑賞したり、絵やお花、お茶のおケイコゴトが大好きな国民が、アート作品を購入しない。日本の現代アートシーンに魅力がないのか、米国のような税制の恩恵がないのが原因なのか様々なことが推測されるが、とても残念なことである。

 

素晴らしい素材を作る「手」の国

 かの三島由紀夫が自決する前、1970年7月7日のサンケイ新聞夕刊に掲載された『果たし得ていない約束-私の中の二十五年』と題した記事に「このまま行ったら日本は、なくなってしまう。その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、経済大国が残る」と予見したが、「平成の30年」を経て「令和」時代に入った2019年の現状は、その経済大国からも零落して、惨憺たる様相を呈している。

 

 かつて日本経済を牽引した財界三団体の一つであり、理論的リーダー役を果たしていたのが「経済同友会」。その代表幹事をつとめ今年退任した小林喜光氏(三菱ケミカルホールディングス代表取締役会長)は、「平成の30年間、日本は敗北の時代だった」と朝日新聞2019年1月30日付のインタビューで述べ、さらに「現代は歴史的な革命期で、5Gやサイバーセキュリティの研究開発に日本は致命的に遅れ、その基幹的技術を米国、中国に依存する時代の到来となった」と、衝撃的な発言を呈した。

 

 小林氏が指摘した5GやAIなどは、軍事的な技術開発のために発展してきたもので、日本がその後塵を拝しているのは仕方がないことではないかと思う一方で、軍事大国の米国や中国が基幹的技術を独占しようとも、そうした技術を支える日本の「素材」こそ、この国が長年培ってきた肌きめ理の細かい開発力が支えてきたと言えるのではないだろうか。

 

 民藝運動を起こした思想家で、研究者でもあった柳宗悦は「日本は手の国だ」と喝破(かっぱ)したように、日本の素材のすばらしさはまさに手に基礎を置いたのだと思う。デザイナーの原研哉氏は、日本の美意識の中心に「丁寧」「繊細」「緻密」「簡潔」をあげている。

 

 日本人が生み出す産業プロダクトや現代アートの作品の魅力はこうした精神や技術に支えられていたはず。日本のこのような力は世界にもっと誇ってよいものだ。

 

 三島由紀夫の予見から半世紀を経た日本の現実は、政治や官僚制度の機能不全、経済や技術力の劣化を招き、世界第3位の経済大国の地位すらも危うくなってきた。こんな情けない令和元年の日本に対し、三島が希求した国「創造性の煮え立っている日本」を実現するためには、日本の文化力、現代アートの創造力によって日本を再構築することだ。そのためには日本の経済人が、自らの文化力をより高めてほしいと切望している。

 

 ギャラリストとしては、日本のアート作品を購入して欲しいと思うが、若い作家へのパトロネージや展覧会の支援、美術館への寄付などぜひ盛んに実行して欲しい。

 

 かつての江戸期や明治・大正・昭和の前期には旦那衆が全国各地にいて、日本の文化を支えた。この現代にも、かつての日本の支えとなった旦那衆に変わる、新たな日本再構築を牽引する新・旦那衆が登場してくれればと大いに期待している。
 

著者プロフィール
 
MIZUMA ART GALLERY
三潴 末雄(みづま すえお)
エグゼクティブディレクター

東京生まれ。1980 年代からギャラリー活動を開始、94 年ミヅマアートギャラリーを東京・青山に開廊(現在は新宿区市谷田町)。2000 年からその活動の幅を海外に広げ、インターナショナルなアートフェアに積極的に参加。日本、アジアの若手作家を中心にその育成、発掘、紹介をし続けている。また、アジアにおけるコンテンポラリーアートマーケットの更なる発展と拡大のため、2008 年に北京に Mizuma & One Gallery を、2012 年にシンガポールのギルマンバラックスにMizuma Gallery を開廊した。2018 年秋よりニューヨークに Mizuma, Kips & Wada Art を開廊。批評精神に溢れた作家を世界に紹介するとともに、ジパング展等の展覧会を積極的にキュレーションし、その活動の幅を広げている。著書に 『アートにとって価値とは何か』 (幻冬舎刊)、『MIZUMA 手の国の鬼才たち』(求龍堂刊)。
 
Mizuma Art Gallery:東京都新宿区市谷田町 3-13 神楽ビル 2F (+81-3-3268-2500)
Mizuma Gallery : 22 Lock Road #01-34, Gillman Barracks Singapore 108939, Singapore (+65-6570 -2505)
Mizuma, Kips & Wada Art : 324 Grand Street Ground Floor-B New York, NY 10002, USA (+1-516-882-4411)

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