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藤堂のシンガポール建築考

2015年6月25日

シンガポールの田園都市、そのデザインと都市緑化計画の歴史

 日頃空調の効き過ぎた空間にばかりいると、緑の中を歩きたくなる。その際に私が訪れる散歩道はマウント・フェーバーのフォレスト・ウォーク、ポンゴル・ウォーターウェイ、スンガイ・ブロー・ウェットランド、そしてビシャン・アンモキオ・パークである。
 
 最初の2つはシンガポールに拠点を置く設計事務所のLOOK Architectsが設計したもので、フォレスト・ウォークは地上十メートルほどの高さに設けられた遊歩道で自然公園を歩き抜けることができる。また、ポンゴル・ウォーターウェイは私が住む地域の近くにあって、巨大な住宅区が緑豊かな公園で繋がっており、川沿いに周遊できるようになっている。
 
 後者の2つは景観建築を得意とするドイツの設計事務所Atelier Dreiseitlが設計している。スンガイ・ブロー・ウェットランドは湿地帯から波打ち際まで遊歩道が整備されており、海風が心地よい。ビシャン・アンモキオ・パークにはビオトープ(生物生息空間)が設けられるなどの配慮があり、風が強い夕暮れ時に木陰で休むのに最適だ。どれも本来の環境の魅力を最大限に引き立てる良い設計である。
 

建築デザインと緑化率

 シンガポールで建築設計の仕事をする際には、緑化を念頭に置きながら設計をする事が多い。敷地に元からある大振りの樹木を残したり、都市再開発庁(URA)の指示をもとに高い緑化率のデザインを建物に取り入れたりすることがある。最近の建築物で高い緑化率を誇る良い例としては、シンガポールの建築集団WOHAが設計した、大樹を模したスクール・オブ・ジ・アート(SOTA、所在地:1 Zubir Said Drive)やパークロイヤル・オン・ピッカリング(所在地:3 Upper Pickering Street)が挙げられる。どちらも壁面緑化や空中庭園などの意欲的な取り組みがされており、面白い。
 

シンガポールを支えた都市緑化計画

 この島を歩くと、至る所に緑が生い茂っていることに気が付く。その裏にはシンガポールが誕生して以来、歩んで来た都市緑化計画がある。
 
 歴史的に見ると、この島には英国植民地時代より英国人の園芸好きが反映されてか、自然保護区やボタニック・ガーデンなどが設けられてきた。また、労働者が持ち込んだ各種香辛料の栽培という文化もあり、それらは独立後の緑化計画の礎となっている。今でもティオンバル地域を歩くとその名残を見ることができる。
 
 1959年にシンガポールが自治権を得たのち、国父であるリー・クアンユーはそれら伝統的な礎の上に「植樹キャンペーン」を張り始めた。このキャンペーンは「熱帯で人口過密な国を暮らしやすくする」という目的によって、加熱する都市開発と並行して行われた。彼の指示のもと、様々な環境で育つ植物が国内外を問わず選定され、スコールでも流されないような土壌改良やパリの街路樹を参考にした排水システムの研究が進められた。リー・クアンユー曰く「この新しい植物が生育すれば、気温が下がって過ごしやすくなり、今とは違うシンガポールになる」。その結果として外部には日陰が増え、緑化は日の当たらない高速道路下や歩道橋下までくまなく行われた。最高気温、最低気温ともわずかではあるが1990年時点と比較して2000年には下がっている。
 

国の生存をかけた田園都市構想

 1967年には小さな島国が生き残るための手段として、「田園都市構想」が開始される。外国資本の参入を容易にし、かつ観光客を惹き付けるには、非東南アジア的、すなわち安全で緑に囲まれ、健康に生活できる魅力的な都市空間を創出する必要があった。その結果、1967年までは700ヘクタールだった公園面積は、2000年には5,955ヘクタールに増えている。ボタニック・ガーデンやガーデン・バイ・ザ・ベイのような一大観光地から、マクリッチ貯水池公園のような住民の憩いの場、イーストコースト公園、パシリス公園のような海岸沿いの公園など多種多様な公園が設けられた。さらにそれらの公園を緑のネットワークでつなぐ公園連結計画もあり、先に紹介したポンゴル・ウォーターウェイなどは良い典型例である。
 
 シンガポールの都市開発は、密林に覆われ不衛生で混沌とした状態から脱却するべく進められてきた。逆を言えば、気を緩めればこの島が築き上げてきた秩序は容易にジャングルに飲み込まれるのではないか、という恐怖感が根底にあるように思う。それ故、混沌とした野生の自然を排除し、管理された自然に取り換えることで、理想的な熱帯の体裁を保とうとする心持ちが、この島の緑化計画を通じて窺えるのだ。
 
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地上高く、木々の合間を縫うように遊歩道が設けられているフォレスト・ウォーク

 


文=藤堂高直(とうどう・たかなお)
シンガポールの設計事務所DPアーキテクツに所属する建築デザイナー。16歳で文字の読み書きが困難な学習障害の一種「ディスレクシア」と診断されるが、卓越した空間把握能力を発揮。2008年英国の建築大学AAスクールを卒業し建築家として開花。当地ではホテルや美術館などの設計に携わってきた。自らの半生を記した著書『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.281(2015年06月01日発行)」に掲載されたものです。

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