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藤堂のシンガポール建築考

2015年5月5日

デザインされた都市、シンガポール誕生の歴史

 シンガポールは2015年で50周年を迎えた。年齢的に私の親よりも若い国であり、若いだけあって国の新陳代謝も早い。私が3年前にこの国に来てから今日までの間だけを考えても、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ、スポーツハブ、プンゴル・ウォーターウェイ、ジュロン・イースト、ワン・ノースの開発など多くのプロジェクトが完成しており、同じ場所であっても再び訪れると以前と印象が異なるということも珍しくない。
 

シンガポール独立とリングシティ構想

 シンガポールの誕生は難産であった。1965年、民族構成の相違や主義の不一致からマレーシアより追放される形でシンガポールは生まれた。その当時のシンガポールは沿岸の限定された都市部に人口が密集し、貧困と病気が蔓延していた。限られた領土内は更なる人口増加と溢れる失業者で満ち、未開発地域は不法占拠区、密林や湿地となっており、危機的状況にあった。
 
 この状況を切り抜けるべく、若きリー・クアンユーを中心とした政府は開発主義的イデオロギーを軸として島を、文字通り生まれ変わらせるべく自己更新を始める。密林は切り開かれ、不法占拠区は撤去され、大地は均され、必要であれば古い街区、寺社仏閣や市場も潰され、徹底的に曖昧な領域は排除されていった。その結果、様々な開発を許容する白地のキャンバス(タブラ・ラサ)が島の上に完成した。唯一、ブアンコック・カンポンのみが当時の姿を留めている。
 
 そこに、以前のカンポンやショップハウスとは縁のない、公営住宅(HDB)が築かれていく。それらは日独米を中心にした国々が提唱する、島全体を網羅したリングシティ構想として増殖、展開し、ニュータウンが数珠繋ぎに建設された。この構想はオランダの中規模都市、デルフト、デン・ハーグなど8つの都市を連結するものが下敷きとなっている。
 
 このような開発は結果として、島の形相のみならず、島民のライフスタイルさえも根本から組み替えていくこととなる。例えば昔は家族で居住し商売を地階で営んでいたショップハウスには人が住まなくなり、代わりにお洒落な飲み屋や事務所がその場所を占有するといったように……。
 

ピープルズ・パーク・コンプレックスの完成

 自己更新を進めるシンガポールに「われわれに必要なのは詩人や未来を創造する力なのだ。詩的な現実こそ、すべてを包みこむ」と新たなアジア都市の姿を提案したのは建築同人団体SPUR(後のDPアーキテクツ)である。環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していくイメージを、建築や都市の概念に持ち込んだ「メタボリズム運動」や英国の建築家グループ「TEAM 10」に刺激を受けた若者達は、葛藤の後に建物の中に都市が内包された「シティ・ルーム」を実現したピープルズ・パーク・コンプレックスという大作を1970年にチャイナタウンに完成させる。以降、この型は模倣、増殖され、シンガポールの都市は外と内が反転するかのように、外部の猥雑さ、熱気と湿気、曖昧さから切り離された、清潔で管理された都市を建物に内包した街になる。
 

更新される国家のアイデンティティ

 長い歴史を持たない国が故の必然ではあるが、シンガポールは自らのアイデンティティをも設計主義的にデザインしていくこととなる。建国時の目標は「清潔」「効率的」「健康」「安全」「秩序」であり、それらが達成された昨今は「余暇化」や、マリーナ・ベイ・サンズに代表されるレジャー施設を中心に「愉しさ」が足された。次に来るのは「スポーツ」「芸術」「文化」である。「スポーツ」はスポーツハブを中心に公園も連結され島全体がジョギングコースやサイクリングコースとなった。「芸術」と「文化」に関してはナショナル・ギャラリーおよび私の携わったシンガポール・ピナコテーク・ド・パリが今年5月に完成予定であり、フランス政府と連携をして都市を照明芸術で照らすナイト・ライトなども始まった。
 
 シンガポールのような都市を表現するのに、『悲しき熱帯』の著者でフランスの社会人類学者レヴィ・ストロースが、戦前に南米のサンパウロを訪れた際の言葉が思い出される。彼はサンパウロに古い建物がなく、新たに開発された建物ばかりであることに驚き、肯定的な意味合いも含みつつこう言った。「新世界の幾つかの都市は、慢性の病気に罹ったまま熱に浮かされて生きている。永遠に若いとは言っても少しも健康ではない」。
シンガポールはこれからも、必要があればアイデンティティを更新し続けるであろう。仮にその必要がなくなり、開発の余地がなくなったとしたら若年期の過剰な新陳代謝を抜け出し成熟に向かうのか。これらの開発が島の人々の在り方をこれからどう変えるのか楽しみである。

 

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カンポンやショップハウスはHDBへと置き換えられ、ニュータウンが次々に建設された

 


文=藤堂高直(とうどう・たかなお)
シンガポールの設計事務所DPアーキテクツに所属する建築デザイナー。16歳で文字の読み書きが困難な学習障害の一種「ディスレクシア」と診断されるが、卓越した空間把握能力を発揮。2008年英国の建築大学AAスクールを卒業し建築家として開花。当地ではホテルや美術館などの設計に携わってきた。自らの半生を記した著書『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.279(2015年05月04日発行)」に掲載されたものです。

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