2017年2月20日
現在と過去をつなぐ日帰りの時間旅行 軍事遺跡が伝える「もうひとつのセントーサ」
兵士の暮らしぶりを再現したジオラマも
現在のフォートシロソは、当時シロソ山に建造された砲台を中心に地下トンネルや武器庫、さらに蝋人形で兵舎内部や日英の降伏文書調印式の様子が精巧に再現され、戦前から戦後にかけての写真や文書、映像も所蔵されている国営の軍事博物館になっています。
「蚊帳がついた金属製のベッドで毎朝起床した兵士たちは朝食後に砦まで行進し、砲撃演習に就く毎日を送りました。食事は肉やわずかな野菜を材料に木炭や薪のかまどのある厨房で作られ、洗濯はドビ・ワラ(“洗濯する人”の意)と呼ばれる人々が担っていたようです。その他、わずかな料金で軍服などの直しをする専属の仕立屋や理髪師もいて、彼らのほとんどが地元の島民だったと言われています」そう解説してくれるのは公務員として働くかたわら研究のため戦時遺跡を訪ね歩くヘルミ・カイドさん。
1942年に山下奉文・陸軍大将が率いる日本軍によってシンガポールが陥落すると、フォートシロソは1945年の終戦まで、泰緬鉄道(第二次世界大戦中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道)の建設などに派遣される捕虜の収容所として使われました。戦後、シンガポール政府を中心にセントーサ島のリゾート化が始まると、軍事遺跡として島内で唯一保存されることになり、1974年に一般公開されました。
「セントーサ島には豪華でエキサイティングなスポットがたくさんありますが、時にはフォートシロソなどの遺跡へ足を運ぶこともおすすめします。時空を越え、シンガポールのまた違う一面が見えてくるかもしれませんよ」(ヘルミさん)
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.318(2017年2月20日発行)」に掲載されたものです。取材・写真:宮崎 千裕