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熱帯綺羅

2009年10月5日

シンガポールスリングが紡ぐ、昔日の名残り

遡ること、20世紀初頭のシンガポール。イギリス人のトーマス・S・ラッフルズが東インド会社の一拠点としてシンガポールを見い出してから一世紀を経て、東西を繋ぐ海峡貿易は栄え、シンガポールには世界中から商人や旅人が訪れました。また、マレーシアやシンガポールの大農園の経営者やイギリス帝国の軍人も多く滞在していました。そんな人々のとっておきの社交場として愛されていたのがラッフルズホテル。着飾った紳士淑女が日夜集い、旅人は欧州航路の長い航海の疲れを癒し、熱帯夜にしばし華やいだ雰囲気を楽しんだといいます。後世へ長く親しまれているカクテル、「シンガポールスリング」がホテル内にあるロングバーで誕生したのは、ちょうどそんな時代でした。

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ラッフルズホテル内、ロングバーのカウンター。改装前、ボールルームの側面に約12mほどの長いバーカウンターを持っていたことからその名がついたという。

 

記録によると、ロングバーのバーテンダーだった海南島出身の中国人Ngiam Tong Boon(厳崇文)が、1915年にシンガポールスリングを考案したとあります。人前でアルコールを嗜む事が適当とされていなかった当時のご夫人方のために、ピンク色のまるでジュースのようにも見えるこのカクテルを編み出しました。ラッフルズホテルの前のビーチロードの向こう側はその名の通り浜辺でしたから、そのカクテルの色は、ホテルから眺めるトワイライトも彷彿とさせます。ジンベースのカクテルなので、当時は「ジンスリング」と呼ばれていました。甘くて爽やかなフルーツの味わいのこのカクテルは、この気候にも最適だったせいか、男女を問わず多くの人々に愛されるようになりました。「ラッフルズホテル、あらゆる東洋の神秘に彩られたところ」と絶賛した小説家のサマセット・モームも、その著書の中で海辺から吹く夕風にあたりながらホテルでジンスリングを楽しんだ、と記述しています。

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