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熱帯綺羅

2010年7月5日

獅子の国の象徴マーライオン

シンガポールのシンボルとして国内はもちろん海外でも広く認知されているマーライオン。マレーシア連邦の自治州だった1964年に、シンガポール観光振興局(のちのシンガポール政府観光局、STB)のエンブレムとしてデザインされました。

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マーライオン公園のマーライオン像。1997年に完成したエスプラネード橋で、河口側からマーライオンが見えづらくなったことから、2002年4月に超大型クレーンとはしけを使い、3日間かけて海側に120メートルほど移された。

マーライオンは、頭部がライオンで、胴体から下は魚。上半身が人間、下半身が魚であるマーメイドを彷彿とさせます。頭部のライオンは、『マレー年代記』にも記されているシンガポール発見の伝説に由来するもの。7世紀から14世紀にスマトラ島南部で栄えたスリヴィジャヤ 帝国の王子が、自らの領土であったパレンバンの他に町を建設できる場所を求めて探検に出た際、ビンタン島の岩山の上から眺めた海上の先に、美しい白い砂浜が広がる島を発見。その島が古ジャワ語で「海のような」という意味の“Tumasik”と呼ばれていた現在のシンガポールでした。上陸後、シンガポール川の河口付近でライオンと思われる不思議な動物を見かけたことから、王子はこの島をシンガプーラと名づけました。サンスクリット語で「ライオン」を意味する“Simha”、「町、都市」を意味する“puram”を合わせたものとされます。

この話は11世紀頃の出来事とされていますが、『マレー年代記』自体、15世紀から16世紀にかけてマラッカ王国で編纂されたものであり、あくまでも言い伝え。しかし、既に自治州としてシンガポール独自の観光政策を打ち出そうとしていたシンガポールにとっては、この言い伝えはシンガポールの始まりとしてふさわしい説だったのではないでしょうか。

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カジノ総合リゾート「リゾート・ワールド・セントーサ」の中から眺めたマーライオン・タワー。シンガポールの新しい風景のひとつ。

 

マーライオン像は5つだけじゃない?!

独立から数年後、マーライオンを像にするという構想が描かれ、彫刻家リム・ナンセン氏が、1971年11月から約10ヵ月かけて高さ8.6メートル、重さ70トンのマーライオン像を制作しました。作業は旧マーライオン公園で進められ、1972年9月15日に正式に披露されました。

マーライオン像のすぐ後ろには、日本人には「子マーライオン」、英語でも“the cub”の愛称で親しまれている、高さ2メートル、重さ3トンの小さなマーライオン像があります。こちらも制作したのはリム氏。

マーライオン公園の2つの像以外で有名なのが、1996年に完成したセントーサ島のマーライオン・タワー。高さ37メートルで、オーストラリア人のアーティスト、ジェームズ・マーティン氏により制作されました。オリジナルに比べて、よりダイナミックで迫力ある姿にしたのだそうです。また、マウント・フェーバーの頂上付近の展望エリアとSTBのオフィス正面入り口にも高さ3メートルの像があります。ビシャン・パークの横を走るAng Mo Kio Avenue 1にはペアのマーライオン像が。イーストコーストパークの室内ミニゴルフ場「Lilliputt」の中にもマーライオン像があります。さらに、長安や深圳、千葉県館山市にある植物園「南房パラダイス」(ボタニックガーデンと姉妹提携)、カリフォルニア、ロンドンなど海外でもマーライオン像が設置されている場所がいくつもあります。マーライオンのデザインの使用にあたってはSTBの許可が必要ですが、海外のマーライオン像については「マーライオンの姿形とそのスピリットがきちんと表現されていれば可」(STB)とのこと。

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「子マーライオン」は、マーライオン像のすぐ後方にいる。奥に見えるのは先月正式オープンしたばかりのカジノ総合リゾート「マリーナ・ベイ・サンズ」。

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2009年2月27日午後、落雷被害でマーライオン像の耳の部分が破損、たてがみにもひびが入ってしまった。翌日から直ちに修復作業が開始され、約1ヵ月で無事修復された。

 

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