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熱帯綺羅

2012年1月16日

2艘のトンカン–TongKang–はシンガポール開拓史の名残り

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物流の担い手が船だったころの19世紀、マレー・アーキぺラゴと呼ばれていたアジア〜オーストラリア間のインド洋から太平洋の西にかけて、トンカン(TongKang)という木製のカラフルな船が無数に行き来していました。これは20トンほどの荷物を積載できる程度の小船で、特徴としては前と後ろの舳の形が同じで全体的に丸みを帯びたものです。櫂や竿で漕いだり、大型船とロープで連結して牽引していました。長距離の移動には向きませんが、大型船から埠頭への荷物運搬、あるいは多島海の浅い海、海から川への移動には小回りのきく便利な船でした。トンカンはこの地域だけではなく、地中海から紅海、南インド、そして南シナ海まで広い海域にわたって活躍していたと言われます。

 

シンガポール川の主役
貨物船は古代ローマから

Screen Shot 2015-07-30 at 3.33.16 pmトンカンという名前はマレー語で「荷物を運ぶ各種船」を意味します。貿易の街として繁栄したシンガポールで、港に着いた荷物、特に木材や花崗岩などの重い建築資材を各地に運んでいました。そのころシンガポール川は島の中心を貫く大動脈で、交通の要所、物流の中心でした。川沿いには倉庫がずらりと並び、海外から輸入した生活物資、スパイス等の食材といったさまざまなモノが運び込まれてこのあたりに保管され、さらに陸路で島内各地に運ばれたり、また大型船に積み込まれて他の国へ運ばれていきました。トンカンはシンガポール開拓史を語る上で、大変重要な要素であると言えます。

 

この小型船の船体には赤、青、黄色の極彩色のペンキが塗られ、そのデザインはなかなかエキゾティックなものでした。トンカンの出自を辿ると、ヨーロッパの影響が見られるインドのマドラス海岸で使用されていたドーニ(Dhonis)に原型を見ることができます。ただドーニの場合は漁船として使われていたことが多かったそうです。モルディブの多島海にもたくさんのドーニがさまざまな目的で使われていました。さらに遡るとドーニの原型はアラブ地域のドウ(Dhow)と呼ばれていた船で、これはもともと古代ローマや古代ギリシャの時代に地中海でも活躍していた船なのです。

 

これらの船はその使用目的や持ち主によって、いろいろなデザインが施されてきました。広い海でも目立つように原色で塗られているのが特徴ですが、シンガポール川を行き来していたトンカンの舳の両脇には丸い目が付いています。その目がさまざまな色に塗り分けられており、船の種類がわかるようになっていたようです。たとえば船の持ち主が潮州省出身の人なら目の周りを赤に、福建省出身の人なら緑に染めていました。船の目が持ち主の素性を表していたわけです。

 

1819年から1983年までの160年以上にわたって、トンカンはシンガポールの港、川になくてはならない存在でした。しかしその後、港のシステムや先端技術の導入により、このような船は必要がなくなり、トンカンはその役目を終えたのです。川からは船が消え、倉庫街は改装されてレストラン街に姿を変えました。現在シンガポール川にはトンカンの最後の2艘が残されているのみです。

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