シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX熱帯綺羅TOP幻の紅毛橋 Ang Mo Kio

熱帯綺羅

2012年9月3日

幻の紅毛橋 Ang Mo Kio

Screen Shot 2015-07-28 at 4.47.27 pm

 

シンガポール本島のほぼ中央に広がるアンモキオと呼ばれるエリアは今、市内有数の政府公団住宅HDBが密集したエリアで、典型的な庶民の暮らしぶりが見られるところとなっています。ナショナルデー前日に放送されたリー・シェンロン首相のメッセージが収録されたのも彼の選挙区でもあるアンモキオでした。

 

アンモキオは現在、漢字で宏茂桥(橋)と表記されますが、古い資料の中には红毛桥と表記されているものもあります。キオは橋を意味しており、アンモキオはもともとカラン川にかかっていた橋の名前でした。ナショナル・ヘリテージ・ボードがこの地域の見所を回るアンモキオ・ヘリテージ・トレイル(Ang Mo Kio Heritage Trail)という散策ルートを昨年正式に認定しましたが、その際、昔は地域一帯に9つの橋があったと発表しています。今は川が注ぎこんでいたロウアー・ピアース貯水池の南端に小さな橋が残されているだけですが、これがアンモキオの橋があった場所に最も近いようです。

 

紅毛橋の由来となった、悲劇の伝承

Screen Shot 2015-07-28 at 4.47.37 pmアンモキオのアンモー(紅毛)とは、福建語で欧米人を意味します。なぜカラン川に架かっていた小さな橋が紅毛橋と呼ばれるようになったのでしょう。そこには橋にまつわる悲しい出来事が語り継がれています。貯水池の近くに住んでいた裕福な英国人貿易商ウィンザー卿と夫人のジェニファー・ウィンザーさんの3人のお子さんたちに起きた悲劇でした。

 

1923年、婦人はハリーとポールという2人の男の子と、アンジェラという女の子を連れてアッパー・トムソンに住む友人を訪ねようとして貯水池周辺の森の中を歩いていました。しかし途中でお子さんたちは母親と離れて迷子になってしまったそうです。

 

男の子2人は橋の近くで川の水に流されたらしいことがわかり、橋から2マイル(約3.2キロメートル)も離れた場所で亡骸となって発見されました。ところが捜索の甲斐もなく、アンジェラはとうとう見つかりませんでした。

 

そのころから地元の人々は、橋の近くで女の子の泣き声を聞くようになりました。嘆き悲しんだウィンザー婦人も橋の近くを歩くと、どこからともなくアンジェラの声が聞こえたそうです。それからは毎日娘の魂に寄り添いながら、婦人は一日中、橋の上で本を読んだり編み物をして過ごしたそうです。その婦人も1963年に亡くなりました。すると不思議なことに女の子の声も聞こえなくなったということです。橋の上で半生を過ごしたウィンザー婦人を偲んで、人々はその橋を紅毛橋と呼ぶようになったそうです。

 

この伝説の真偽を確かめる方法はありませんが、まだ開拓途上だったシンガポールでは、川に溺れたり、ジャングルの中で遭難するなどの事故に巻き込まれた人は少なくなかったと言います。

おすすめ・関連記事

シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX熱帯綺羅TOP幻の紅毛橋 Ang Mo Kio