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ビジネスインタビュー

2010年11月1日

KLからアジアの空に翼を広げる

エアー・アジア会長 トニーフェルナンデス氏

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1リンギで買い取ったエア・アジア

航空会社を運営するのは子供のころからの夢だった、というトニ-・フェルナンデス氏はクアラルンプール(KL)郊外にある、自宅の応接室で寛ぎながら語り始めた。今から約10年前、ワーナー・ミュージックの東南アジア地域バイス・プレジデントを辞して航空業界に進出する、と宣言した時、多くの友人は無謀だ、と反対した。エアラインのビジネスは小規模で始めるということが不可能だ。膨大なコストがかかるし、しかもアジア各国にはすでに数多くの航空会社がひしめいている。「マレーシアの人々はビジネスの話になるととても消極的だね。チャレンジ精神に欠けていると思う」と言ってマレーシアの報道陣を見回してから「いや、自分が変わっているのかもしれないけど」と、Air Asiaの文字がプリントされた赤いキャップをかぶりなおした。

 

ワーナー・ミュージックの仕事は順調で、すでに良いポジションを手に入れ、高収入も保証されているのになぜ経験のない業界に出てゆくのか。家族も友人も彼の途方もない夢に戸惑った。フェルナンデス氏は当時のマレーシア首相・マハティール氏に会いに行き、航空会社を興す相談をした。マハティール氏もはじめは反対したが、フェルナンデス氏の意志が固いとわかると、それなら倒産しそうな小さい航空会社があるから、それを引き継いで立て直してみてはどうか、と提案した。それがエア・アジアだった。古い飛行機をたった2機保有していたが、経営難に陥っていていた。トニ-・フェルナンデス氏はその会社を1マレーシア・リンギ(約26円)で買い取ったのだ。いや実際には多額の負債を背負いこんだことになる。貯金を注ぎこみ自宅も担保に入れてマイナスからの出発だった。それでも飛行機の会社を運営する、という夢へ一歩踏み出したことには違いない。

 

「自分はクレイジーだったかもしれない」と笑うフェルナンデス氏。「でも僕は失敗を恐れてチャレンジしないより、チャレンジして失敗する道を選ぶんだ。失敗したってやり直せるじゃないか」と付け足した。

 

8年半で乗客1億人を空へアジア一のLCCに

トニ-・フェルナンデス氏の目標は「みんなが空を飛べるようになる」ことだった。エア・アジアの赤い機体には”Now Everyone Can Fly”と書いてある。LCC(Low Cost Career)として、アジア各国の普通の人々が気軽に利用できる格安航空会社を目指した。エア・アジアを始めた時、マレーシアは不景気で他の航空会社が人員整理を行っていたため、経験あるスタッフを雇うことができた。人々はチケットが安いエア・アジアを喜んで利用した。

そしてわずか8年半で乗客1億人を達成。

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エア・アジアXは長い交渉のうえ、念願だった日本就航を遂に実現させた。12月9日から羽田へ週3便を飛ばすことが決定。羽田~KL往復のプロモーション価格は5,000円という破格の値段で提供。しかしこのチケットは発売開始4時間で完売した。通常料金は1万4,000円から6万8,000円で、予約時期によって料金は異なる。インターネットで早めに予約すればそれだけ安く買える。当分の間、エア・アジアXのKL~羽田間はほぼ満席となる見通しだ。

 

初年度の乗客は何人くらい見込んでいますか?という質問に、エア・アジアXの会長・アズラン・オスマンラニ(Azran Osman Rani)氏はこう答えた。

 

「377人X週3便X52週、その80%くらいは行くだろう。計算してください。」ざっと計算すると約4万7,000人。日本便だけでこれほど多くの人がエア・アジアXを利用することになる。将来的には福岡、大阪、札幌など日本各都市への就航も狙っているが、初年度はKL~羽田路線のサービスに専念し、3~5年以内に他都市への拡大を計画する。

 

日本乗り入れの第一候補となった茨城空港、成田空港、福岡空港などにも足をのばしたトニー・フェルナンデス氏に日本の印象を聞いてみた。「仕事が忙しくてあまり観光していないのだけれど、ちょっと見まわしただけでも日本には観るべきもの、面白そうなことがいっぱいあるとわかったよ。きっとマレーシアの人々も日本旅行を楽しんでくれるだろう。うちの9歳の息子は日本のポップカルチャーが大好きで、日本人になりたい、と言うほどなんだ。家族も連れて行ってみたいね。」アジアの空に旋風を巻き起こしている風雲児はビジネスの話をしながらも、常に家族や母国の人々への思いやりを言葉にする。

 

しかし羽田就航で日本の空の競争がさらに激化するのは必至だ。アジアで既存の大手航空会社を脅かしているエア・アジアの参入は、まだLCCがそれほど知られていない日本の航空業界でその動向が注目されている。経営回復を模索する日本航空、今年度3月期赤字に転落した全日空などがどのような対応策を考えているだろうか。

 

無駄を省き、サービスを特化する

“No-frills, hassle-free, low-fare”をモットーとするエア・アジアは無駄を徹底的に省いている。チケットはインターネット販売、チェックインはセルフサービス、機内食は注文に応じる形で機内販売するなど、コストを最小限におさえている。「もし日本航空を立て直してください、と頼まれたら何をしますか」という質問に、トニー・フェルナンデス氏は明確に答えた。「しなければならないことはいたってシンプル。赤字路線は切る。席の埋まらないルートは小さい飛行機を飛ばす。サービスを簡略化する。」日本航空のサービスはとてもいいけれど、コストに見合わなければしようがないじゃないか、と彼は言った。

 

サービスの対象を絞ることも大切だという。富裕層にも中流にも、というのは無理だと思う、とも。エア・アジアはエコノミー・クラスだけに徹しており、機内でゆっくり睡眠をとりたい人には、一部の長距離便でフラットベッドを追加料金で選べるようにしているが、これはビジネス・クラス、ファースト・クラスとは別のカテゴリーだ。日本航空はビジネス・クラスとプレミア・エコノミーにフォーカスするとか、とにかくサービスを特化する方がうまくいくはずだ、と語った。

 

また日本政府に対しても、採算を考えずに空港をたくさん造りすぎた、と批判。「日本には今99もの空港があるそうだけど、そんなに必要なのだろうか。また自国の航空会社を保護し過ぎた、という指摘には日本政府はどう反論するだろうか。保護したって結局失敗したではないか」とフェルナンデス氏。「とにかく排他的になってはいけない。もっとビザ制度を見直して、外国人を受け入れてほしい。マレーシア、日本の両国の文化交流のためにも日本にはそう、要求しているんだ」。

 

マレーシア政府もナショナル・キャリアのマレーシア航空を保護してきたが、エア・アジアが参入してから、マレーシア航空のサービスが向上した。またエア・アジアがKL~シンガポールのシャトルサービスを始めたため、シンガポール航空はこの2都市間の航空料金を下げた。競争することで、業界全体が成長し、人々はその恩恵を受けられる、というのがフェルナンデス氏の意見だ。「全日空が格安航空会社の設立を発表しました。エア・アジアと競合することになりますね」という質問に、フェルナンデス氏の目が真剣になった。「ANAのLCCは悲惨なこと(disaster)になると思うよ」とすっぱり。「企業にもDNAというものがあるんだ。エア・アジアは僕が始めた時からLCCとして育てた航空会社。それを真似しても無理だと思う」。

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拡大路線からサービスの質向上へホテル経営、F1スポンサーチャレンジは続く

日本への就航を実現させたエア・アジアの次なる目標は何だろう。太平洋への乗り入れ、それともヨーロッパ・アフリカへ?リージョナルヘッドのキャスリン・タン(Kathleen Tan)さんはプレスの質問にこう答えた。「路線拡大は続けますが、今後数年は域内路線の充実とサービスの質の向上を優先したいと思っています。」とりあえず、当初の予定はほぼ実現した。「アセアンの空のハブになる、アジアの航空会社としての地位を確立する」という第一目標は達成できた、とフェルナンデス氏は語った。

 

今後はKL経由の路線に加えて、KLを経由せずにアジアの一都市から他の都市へ飛べるような路線網を充実させたい考えだ。たとえばスラバヤ~バンコク、香港~プーケットのように。アジア域内の人の動きは活発化している。空の交通の改善によってさらに活発になるだろう、という。中国、インド、インドネシアといった広大な土地の国へ乗り入れ、その国の発展に大きく寄与してきたエア・アジアは、まさにアジアの航空会社としての存在感をゆるぎないものにした。これからもさまざまな形で社会貢献をしたいというフェルナンデス氏は、すでにバジェットホテルのチューン・ホテル(Tune Hotels)を経営し、将来的には観光バスや病院まで運営したいと考えている。一方でF1に参加するロータス・チームのスポンサーになってレーサーの育成にも力を入れる。日本の野球チーム・オリックス・バッファローズを買収したいという野望もあるそうだ。

 

音楽とスポーツが大好きで、休日は9歳の息子さんと一緒にゴーカートやロッククライミングを楽しむ。「お子さんにはエア・アジアを引き継いでほしいですか?」と聞くと即座にNoと首を振った。「彼はパームオイルの農園を経営したいそうだ。好きなことをすればいい。」最後にあなたの人生で大切なことは、の質問に返ってきたのは”Fun, Happy”という言葉だった。ポジティブな思考、そして人生をフルに楽しむことだそう。”Maximise Life”という彼の言葉が強く印象に残った。仕事も趣味も目いっぱい楽しんでいるのだろう。

 

KLのLCC空港にはエア・アジア専用のターミナルがある。エア・アジアのスタッフはキャビン・アテンダントから整備士まで、みな赤いユニフォームに身を包んで、生き生きと働いている。フェルナンデス氏のDNAがスタッフにも受け継がれているに違いない。アジア40億人の空への旅立ちの’夢’は、トニ-・フェルナンデス氏が子供のころからあたためてきた’夢’によって実現されつつある。

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この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.178(2010年11月01日発行)」に掲載されたものです。
取材=セガラン郷子

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