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米朝首脳会談の開催でシンガポールが得た真の成果

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金委員長一行の滞在費はシンガポール持ち、観光名所をサプライズ訪問(2018年6月12日)
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6月12日に開催された史上初の米朝首脳会談の舞台となったシンガポール。国を挙げて国家ブランドを推進することに長けたシンガポールは、さながら「国際政治のリアルTV化」も相まって世界中が注目した一大イベントを成功裏に終え、金額に換算できない対価を得たとみられている。本稿では、シンガポール政府が負担した約13億円の開催費用に対して、短期的な経済効果に加えて「シンガポール・ブランド」の価値向上を通して中長期的にも期待される経済波及効果を考察すると共に、目には見えないが真の成果となりうる重要なポイントにも考えを巡らせていきたい。

 

会談の開催は国の一大PRイベント
国の「情熱」が会談成功を「可能」に

シンガポールのリー・シェンロン首相は、米朝会談に先立つ6月10日の会見において「米朝両国から首脳会談のホスト国を務めてほしいと要請された際、ノーとは言えなかった。我々は貢献すべきであり、それができる能力もある。万全の策を講じており、いい仕事ができるだろう」と述べている。ことさら「要請された」ことを強調している印象を受けたが、実際には諸手を挙げて会談の開催国となることを望んでいたと考える。

 

その背景の一つはシンガポールのお家芸とも言える国家ブランディング戦略、すなわち国を挙げてシンガポールの認知度向上を図る取り組みにある。建国わずか53年と歴史が浅く、また小面積のシンガポールには観光資源に限りがある。例えば世界遺産はボタニック・ガーデン(シンガポール植物園)の一つだけであり、他に世界的に有名な文化遺産や自然遺産を有していない。そのような中、GDP全体の約4%にとどまる観光業を発展的に成長させていくためには観光客に加えてビジネス客の増加が欠かせず、国際会議や展示会などを誘致していく上で「シンガポール・ブランド」の積極的なマーケティング活動は非常に重要な役割を担っている。

 

その中心的な役割を果たしているのがSTB(シンガポール政府観光局)であり、これまでも時代背景を反映したブランドスローガンを打ち出して国家ブランドの認知・強化を図っている(図1)。昨年8月に発表された新スローガン「Passion Made Possible」は、あらゆる「情熱」を持った取り組みが「可能性」を推進する原動力になる、という意図が込められており、旧来の観光客に焦点を当てた取り組みとは一線を画している。その背景について、STB長官は「旅行者のための観光地という枠を超えて、より充実したシンガポールのストーリーを伝えていく」と説明している。また、新スローガンは、STBのみならず、外資企業の誘致や国内企業の対外活動を支援するEDB(シンガポール経済開発庁)やMTI(シンガポール通商産業省)も活用していく方針である。国を挙げてビジネス客の増加を図りたいシンガポール政府にとって、「シンガポール・ブランド」を全世界にアピールしうる絶好の機会となる米朝会談の開催は、まさに渡りに船であったとみる。

 

 

シンガポールの負担は約13億円
広告効果は600億円超との試算も

シンガポール政府は6月24日、米朝会談の開催に際して負担した費用が1,630万Sドル(約13億円)だったと発表した。約半分は警備関連に充てられたほか、報道関係者向けのメディアセンターの設置費用や、北朝鮮代表団の宿泊費用などを支出している。政府が他国の会談のために多額の支出をしたことに不満の声がある一方、地域の安全保障につながる会談への支出は惜しむべきではなく、またシンガポールの宣伝効果を考えると支出は大した額ではないとの意見が大勢を占めているとみる。

 

実際にメディア情報分析会社の米メルトウォーター社は、米朝会談が世界中のメディアで紹介され、関連したホテルや名所の知名度が上がったことで、7億6,700万Sドル(約624億円)の広告効果があったと試算している。またシンガポール政府が負担した費用に加えて、各国から来星した約2,500人の報道関係者が宿泊や飲食に対して消費した額は、そのほとんどが国内企業に支払われていることから一種の公共投資と見なすこともできる。そのため、交通規制などにより客足が遠のいた一部店舗の売上減を差し引いたとしても、米朝会談の開催はシンガポールの経済にプラスの影響を与えたことは確かとみる。

 

さらに、会談前日の夜にはシンガポールのビビアン・バラクリシュナン外相らが、北朝鮮の金委員長と自撮り(セルフィー)した写真をツイッターに投稿して大きな反響を呼んだ。「軽々しい」と非難する声もある中、この1枚の写真がもたらす価値だけで政府の負担額を軽く上回っているとの意見さえある。その他にも、メディアセンターでシンガポール料理を中心とする食事を無料で提供したSATS(シンガポールの機内食・空港サービス大手)、オールド・チャン・キー、ヤ・クン・カヤ・トーストなどの地元スポンサー企業や、米朝会談を自社ブランドや商品の広告・販促の機会として活用したケンタッキー・フライド・チキン、コカ・コーラ、イケアなどの企業(写真参照)においても、認知度向上や売上増加の効果があったとみる。

国際会議の開催都市でトップの座
会談の成功で一層高まる人気

シンガポールで米朝会談を開催したことは、上述した短期的な経済効果のみならず、「シンガポール・ブランド」の価値向上を通して中長期的にも高い経済波及効果が期待される。

 

国際団体連合(UIA、本部ベルギー)が毎年発表している主要な国際会議の都市別開催地ランキングによると、2017年にシンガポールは877件を開催して1位となっており、2位のブリュッセル(763件)、3位のソウル(688件)を引き離している。今回シンガポールは会談の開催を短い期間で効率的に準備し、また安全な環境下でトラブルもなく成功裏に終えることに貢献した。このことから、今後もシンガポールは国際的な紛争問題を解決する政府間協議、またミーティング(企業等の会議)、インセンティブ(企業等の研修旅行)、コンベンション(国際機関・団体、学会等の会議)、エキシビジョン(展示会等)の頭文字からなるMICE(マイス)の開催地として、強い人気を維持していくとみる。

 

また、米朝会談に先立ちシンガポールのリー首相は北朝鮮の金委員長、そして米国のトランプ大統領とも個別に会談を行った。開催国を務める外交儀礼上、形式的な内容であったにせよ、米朝両国と好意的な外交関係を確認できたことはシンガポールにとってもプラスであったに違いない。

 

成果は「世界との差」を認識できたこと
裏を返せばシンガポールには伸びしろが

米朝会談の「陰の勝者」とも呼ばれるシンガポール。しかし、今回シンガポールが得たより重要な真の成果は、目に見えないところにあったのではないかと考える。それは「アジアの優等生国家」であるシンガポールが、様々な角度で歴然と存在する「世界との差」を改めて認識する機会を持てたことである。具体的に考察した事例を2点ほど紹介して本稿を締めくくりたい。

 

1点目は、「Little Red Dot(小さな赤い点)」と揶揄されるシンガポールの認知度は、世界的にはまだまだ低いという点。ポンペオ国務長官が行った記者会見の場所を米国務省が誤って「マレーシアのシンガポール」と記載したことや、会談前日には米国のグーグル上で「Where is Singapore?(シンガポールってどこ?)」をはじめ、シンガポールに関する検索数が2百万超と全体で最大であったことが現実的な存在感を示唆している。また、先述の通り国際会議の都市別開催地ランキングでは1位のシンガポールであるが、2017年の国際観光客到着数(世界観光機関調べ)や国家ブランド指数(Anholt-GfK調べ)のランキングではトップ10にも入れないのが現状である。

 

2点目は、シンガポールメディアのクオリティがグローバルメディアに比べて見劣りする点。米CNNやCNBCは、会談当日はシンガポールを基点に米国、韓国、中国など各国のアンカーと随時中継をすることで臨場感に溢れる報道をしていた。それとは対照的に、シンガポールの国営放送局であるチャンネル・ニュースアジアは、スタジオに集まったキャスターとアンカーが基本的に同じ場所から情報を発信しており、重複感や退屈感が否めない内容であった。実際に仏イプソス社が2017年に実施した調査によると、アジア太平洋の10ヵ国におけるチャネル・ニュースアジアのブランド力は6位にとどまり(図2)、グローバルメディアとの実力差が見て取れる。

 

 

東南アジアおよびアジア圏内では確固たる認知度と実力を誇る「シンガポール・ブランド」。今回の米朝会談の開催は、今後シンガポールが世界レベルで自国のアピールをしていく上で超えるべき壁を認識する試金石となったことに真の成果があったのではないだろうか。この点は裏を返せば、観光業を筆頭にシンガポールの伸びしろを示唆しており、STBを中心にいかにして「Passion Made Possible」を具現化していくのか、今後もその動向に注目をしていきたい。