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熱帯綺羅

2017年3月28日

在星日本人の強い味方、 シンガポール日本人会の歴史

それから7年経った1952年、総領事館が再度設置されます。1955年には戦後初めて、日本企業にシンガポールでの会社開設の許可がおり、商社や銀行を中心にシンガポールへ進出しました。そうして日本人が徐々に増え始めた1957年、シンガポールで公的な役割を担う日本人組織が再度必要となり、3度目の日本人会が発足しました 。

 

時を同じくしてシンガポールの国土開発も進みます。少しずつ日本人も受け入れられ始めていた1961年、事件が起きます。イースト・コーストで大量の遺骨が発掘されたのです。この遺骨は太平洋戦争中に日本軍によって虐殺された華人たちのもので、高まりかけていた日本人への受け入れ感情は消え、シンガポール国民に戦争中のおぞましい記憶を呼び覚ますことになりました。日本に対して5000万Sドルの賠償金が要求されるなど、シンガポール国内での排日運動は激化し、在留日本人家族は生命の不安を感じるほどだったそうです。この問題は1966年、日本政府がシンガポール政府に無償2,500万Sドル、低金利借款2,500万Sドルを支払うことで決着しました。

 

シンガポールと日本の友好関係が改善、新しい時代の幕開け

その後、2国間の関係は改善します。当時のシンガポールはイギリス軍の撤退に伴い、高い失業率に悩んでいました。国土も狭く資源もありません。経済成長や就業機会の確保には海外から人、モノ、金を呼び込み、国を立て直す必要がありました。そのためには若者たちへの教育が必要だとされ、英語力の強化や近代産業に対応できる基礎技術力の習得に力を入れ始めました。

 

320web_sub3そこで声がかかったのがドイツ、フランス、そして日本でした。当時すでに技術大国としての地位を確立していた日本は、技術学校の建設や技術移転を要請されました。この援助はシンガポールが先進国と認められる1996年まで続き、日本人会の会員も大いに貢献しました。また日本人会は、社会貢献活動やスポーツ・教育支援活動などにも力を入れてきました。2002年8月には日本人会のボランティア団体の一つが、大統領から直々に「大統領社会奉仕活動賞」を授与されています。この賞は社会貢献活動を行う個人、団体に贈られる賞としてはシンガポールで最も名誉ある賞で、外国人の社会人団体としては初めてでした。

 

今回の取材に応じてくれた、杉野一夫シンガポール日本人会特命顧問は「シンガポール日本人社会百年史」を完成させたばかり。「先人たちはとても苦労しながら今日の友好関係を築き上げてきた。この歴史を多くの日本人に知ってほしい」と話します。現在シンガポールで生活する私達は、後に続く日本人のためにも歴史を伝え、友好関係を維持・発展させていく義務があるということでしょう。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.320(2017年4月1日発行)」に掲載されたものです。取材:一色 映里奈、写真提供:シンガポール日本人会

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