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熱帯綺羅

2017年3月28日

在星日本人の強い味方、 シンガポール日本人会の歴史

来星してすぐの頃、現地にいる先輩日本人からまず教わることの一つに「シンガポール日本人会」があるのではないでしょうか。日本人会は1915年に発足し、2015年に創立100週年を迎えた日本人コミュニティーの中心的役割を担う組織です。事務局によると、2017年2月20日時点での正会員数は約5,500人(日本国籍保持者)、他に約400人の会友(日本人以外の会員)が登録しており、法人会員も765社に上る世界中に点在する日本人会の中でも大規模です。会員は英語表記のThe Japanese Association, Singaporeの頭文字を取り、JASの愛称で親しまれています。

 

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近年では2014年のチンゲイ・パレードにて、日本人会チームがチャンピオンになった。パレードで今では欠かせない存在になっている

 

創立100周年を迎えた今振り返る、日本とシンガポールの歴史

シンガポール日本人会の前身に当たる青年会が発足したのは、戦前の1909年。目的はシンガポールで横行する誘拐・密航師などに対抗するためでした。現在は約8割の日本人が企業派遣で来星しますが、当時そのような日本人は3割程度しかいないエリート。残り約7割の貧しい境遇から抜け出すために職を求めて来星していた日本人と価値観が合わず、数年で自然消滅してしまいました。

 

その後1912年には、来星してきた日本人家庭らの声もあって日本人学校が開設されます。これに伴い必要になったのが学校の維持、管理に責任を持つ運営母体でした。教員を雇い、土地や資金を取得するにも個人では不可能です。そこで1915年に日本総領事館(現在の日本大使館)や企業派遣者などが集まり、シンガポールにおける日本人社会を代表する機関として、日本人会を結成しました。

 

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戦前の日本人倶楽部。場所はSelegie RoadとWilke Roadの交わる角に位置していた。1926年8月に日本人倶楽部が建物を購入し、日本人会が倶楽部の建物の中に事務所を持った
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戦前の日本人学校の講堂内の様子。1919年にウォータールー・ストリートの土地を購入し、1921年に小学校校舎を竣工した

しかし、これも長くは続きませんでした。理由は1941年に始まった太平洋戦争です。開戦を前に異変を感じ取った日本人が徐々に帰国し始め、日本人会の存立も難しくなって2度目の自然消滅を迎えます。開戦後シンガポールに残っていた日本人はインドへ送られ、抑留生活を強いられるなど厳しい状況に置かれました。終戦の1945年には、当時シンガポールに残っていたほとんどの日本人は強制送還され、シンガポール国内の日本人はごく少数になりました。

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