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百花繚乱「プラナカン」の世界

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プラナカン、その起源

プラナカン(Peranakan)とは、「その土地で生まれた子」という意味で、「商人としてマレー半島を行き来していた最も古い中国系移民の子孫達」である。

古い文献では、15世紀にマラッカに中国人がいたという記述がある。彼らの多くは、季節風に乗って中国からやって来た商人で、風向きが変わるまでの半年をこの地で暮らし、現地の女性(マレー系、インドネシア系など)との間に家族をもうけていった。

海峡華人ともよばれるマレー半島生まれの中国系移民の子孫らは、マレー半島にポルトガルやイギリスの植民地か形成されていく過程で、貿易や船舶のビジネスで財をなし、自ら男性をババ(Baba)、その妻や女性の家族をニョニャ(Nonya)と呼んだ。

ババやニョニャはプラナカン同士の婚姻に拘り、独自の社会を作り上げていった。

イギリスの植民地となった19世紀以降、中国から大量にやって来たシンケイと言われる労働者のグループとは異なる。

プラナカン達は、早くから英語やマレー語も堪能だったため、イギリス植民地政府の役人に登用され、ある種特権階級的な立場を活かして経済界でも名を馳せ、20世紀初頭をピークに華やかなプラナカン文化を紡ぎ出した。

一軒家のバンガローや瀟酒なショップハウスに暮らし、中国人としての伝統を重んじながらもマレーやヨーロッパの生活文化を融合させた独特の生活様式は、現代において失われつつあるが、彼らの暮らしを今に伝える博物館や文化財に指定されている建物を訪れることで垣間みることができる。

プラナカン博物館(Peranakan Museum)
ババ・ハウス(Baba House)
住所
157 Neil Road Singapore 088883
Tel
6227-5731(事前予約は、上記電話かEメール:babahouse@nus.edu.sgで)
入場料
10ドル