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2009年1月19日

百花繚乱「プラナカン」の世界

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プラナカン、その起源

SnapCrab_NoName_2015-6-18_11-23-17_No-00プラナカン(Peranakan)とは、「その土地で生まれた子」という意味で、「商人としてマレー半島を行き来していた最も古い中国系移民の子孫達」である。

古い文献では、15世紀にマラッカに中国人がいたという記述がある。彼らの多くは、季節風に乗って中国からやって来た商人で、風向きが変わるまでの半年をこの地で暮らし、現地の女性(マレー系、インドネシア系など)との間に家族をもうけていった。

海峡華人ともよばれるマレー半島生まれの中国系移民の子孫らは、マレー半島にポルトガルやイギリスの植民地か形成されていく過程で、貿易や船舶のビジネスで財をなし、自ら男性をババ(Baba)、その妻や女性の家族をニョニャ(Nonya)と呼んだ。

ババやニョニャはプラナカン同士の婚姻に拘り、独自の社会を作り上げていった。

イギリスの植民地となった19世紀以降、中国から大量にやって来たシンケイと言われる労働者のグループとは異なる。

プラナカン達は、早くから英語やマレー語も堪能だったため、イギリス植民地政府の役人に登用され、ある種特権階級的な立場を活かして経済界でも名を馳せ、20世紀初頭をピークに華やかなプラナカン文化を紡ぎ出した。

一軒家のバンガローや瀟酒なショップハウスに暮らし、中国人としての伝統を重んじながらもマレーやヨーロッパの生活文化を融合させた独特の生活様式は、現代において失われつつあるが、彼らの暮らしを今に伝える博物館や文化財に指定されている建物を訪れることで垣間みることができる。

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プラナカン博物館(Peranakan Museum)
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ババ・ハウス(Baba House)
住所
157 Neil Road Singapore 088883
Tel
6227-5731(事前予約は、上記電話かEメール:babahouse@nus.edu.sgで)
入場料
10ドル

21世紀のBaba、プラナカン考プラナカン博物館 キュレーターランデル・イー(Randall Ee)氏

p04 (4)プラナカンの家に生まれ育ったババの一人として、プラナカン博物館のキュレーターであることを誇りに思っています、とランデルさんは笑顔で言う。

「海外からの観光客以上に、最近では多くのシンガポール人がプラナカンに注目しています。年配の世代は、自分がプラナカンでなくとも、あらゆる文化が融合したプラナカンの暮らしぶりを見ると、馴染みを覚え懐かしく思える要素をどこかに見いだしており、また若い世代で特にデザインを学ぶ学生達など、プラナカン独特の色合いやデザインに興味を持っています。劇場でプラナカンにちなんだ芝居が上演さりたり、テレビドラマになったりと、閉鎖的だったプラナカンの文化が大衆に開かれ、シンガポール人の中に自らの伝統文化の一つであるという意識が芽生え始めているようです」という。

p05 (4)目を奪われるようなパステル基調の鮮やかな色合いの陶磁器やビーズ刺繍はもとより、そのデザインやダイニングテーブルのセッティングなどを見てもとにかく賑やかな装飾を好む事は見て取れる。「プラナカンを一言で言うと、『penuh(満)』ですね。」とランデルさんはいう。とにかく賑やかに、多ければ多い程、幸せを呼ぶという発想なのだそう。

ランデルさんは博物館の中で特に気に入っている展示の一つとして、博物館に再現されたプラナカンの台所を挙げた。「例えば、中国式、マレー式、インド式の3種の石でできたすり鉢があり、ニョニャ達がそれぞれの良いところをいかに取り入れていたのかが良くわかる。それを独自の調理法で使用し、ユニークなニョニャ料理を作り上げたのです」と言う。「プラナカンの特徴であるカラフルで華やかなものに目が行きがちですが、生活習慣全体を見て彼らの気質を感じるという有機的な見方も是非して欲しい。その目に見えない部分にこそ、文化を象徴する興味深いものがあるからです」とつけ加えた。

ランデルさんは、この世代には珍しく、プラナカンの言語であるババマレー語を流暢に話す。「私は幸いにも大家族の台所でニョニャ達がババマレー語を話す環境で育ちました。現代生活でそんな環境が得難くなったことに比例して、ババマレー語を話す人口は減る一方ですね。」と言う。結婚相手も個人の自由で選ぶ時代で、12日間にも及んだ伝統的な婚礼儀式やババマレー語など、現代生活に合わない慣習は確かに淘汰されて行く。その反面で、カバヤやサロンなどの衣裳や、プラナカン料理など、現代風にアレンジをされながらも受け継がれて行く。文化は決して消滅することはなく、常に形を変えて継承されていくものだというランドルさんの言葉には説得力がある。

旧正月を控え、何か特別なことは?と尋ねると、「今は大そうじですね。家中の家具を磨くのはもちろん、キャビネットの中にある食器や陶器を全て取り出して、洗ったり、欠けているものを処分したりすることを日々手伝わされています。」という。本来家事はニョニャの仕事では、と問うと「現代のババですからね、男女平等です」と笑った。

プラナカンの新年、食にあり

SnapCrab_NoName_2015-6-18_11-31-44_No-00旧正月を祝うことは、先祖崇拝を重んじるプラナカン達にとっても大事な行事となる。旧正月に家族皆が集まる意味は、家に先祖の霊を招き入れ、食事を供するためだという。ニョニャ達が集まり、お供えの料理を作って祭壇前に並べる。その後トゥパンジャンといわれる長テーブルにも料理が並べられ、家族で食事をするが、なるべく賑やかに、大声で笑いながら過ごすのが習わしだという。新年が明け、親戚や友人を訪れる際、みかんだけではなく、以前はその家庭で自慢のお手製のケーキやお菓子を交換し合う習慣もあったという。

 

 

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プラナカンをもっと知りたい!おすすめの一冊。『マレー半島 美しきプラナカンの世界』

p11 (1)プラナカンのその歴史、文化はとても奥深い。その膨大な情報を噛み砕いてA5サイズの本にすっぽりおさめ、プラナカンの粋を存分に伝えてくれる美しい写真で彩られた良書。

英語の文献も少なく、外からでは限られた情報しか得られない中、著者の二人は、プラナカンの足あとを辿るべく、プラナカンに縁のあるマレー半島の都市を自ら訪れ、今を生きるプラナカンの社会に飛び込んで情報収集や写真撮影を行った。

「華やかな中にも、プラナカンは『壁の穴の文化』と言われる程、どちらかというと特権階級的で閉鎖的なところも多いんですよ」いう著者の丹保さん。何度も足を運んだ後、顔見知りになって初めてそっと教えてもらえたことも多々あったという。

                                  著者:イワサキチエ、丹保美紀
                                     出版:産業編集センター
                                 (ISBN: 978-4-86311-002-1)

丹保さんとプラナカンとの出会いは、ニョニャ料理。モスクワでの留学を経てパートナーとシンガポールにやって来た丹保さんが最初に感動したものだったそう。「中華料理に使われる食材、豚肉などをマレー料理にあわせる新鮮さに驚きました。マレー料理と同じような物でも、中国人のマメさと器用さを受け継いでいる分、味わいが深く、美味でもあって」と語る。そこから知れば知る程奥深いプラナカンの世界に引き込まれていったと言う。

現在、フリーランスでコーディネーターやライターとして活躍中の丹保さんは、シンガポール・プラナカン協会の会員でもある。今後もユニークな視点でプラナカン事情を発信してくれるだろう。

 

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この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.138(2009年01月19日発行)」に掲載されたものです。
文= 桑島千春

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