今年は100周年記念イベントとして、年間を通してコンサートや落語が開催されており、式典当日は「能公演~寺井父娘会~」が披露された。能楽観世流シテ方で重要無形文化財[能楽]総合指定保持者の寺井栄氏が仕舞で「岩船」を、続いて寺井美喜氏が舞囃子「紅葉狩」、最後に寺井千景氏が能面をつけて「猩々乱(しょうじょうみだれ)」を演じ、幽玄な舞で観衆を魅了した。能公演に続いて行われたレセプションでは、最初にシンガポール日本人会の髙橋健司会長が挨拶を述べた。そしてシンガポール日本人会の歴史を振り返り、戦争を経てもなお日本人コミュニティを受け入れてくれたシンガポールに対し、「シンガポールの人たちはいつも心をオープンに、異文化を受け入れてくれる」と感謝を伝えた。
シンガポール国立大学(NUS)で日本研究を専攻して卒業した後、1990年1月からシンガポール日本人会で働き始めました。シンガポール人の私が日本人会で働くのは、いわば日本の友人をサポートする立場にあると感じています。そして日本人会100年の中で25年の歴史に関わることができたのは、とても名誉なことです。
日本人会主催のイベントの数も増え、規模もだんだん大きくなってきました。私が日本人会で働き始めた当時、夏祭りの参加者は数百人だったのが、今は1万人を動員するまでになりました。そして、以前よりもローカルの参加者が増え、たくさんの学生もボランティアとして参加してくれるようになりました。日本人会が掲げる理念の1つである現地コミュニティとの交流と相互理解が達成されていると感じます。チンゲイパレードへの参加などを通じて「日本」を紹介してきたことも、地元の人たちが日本について知り、身近に感じることに大きな役割を果たしてきたと思います。
これまで1998年に現在の日本人会館が完成するなど大きな出来事がありましたが、私の中で最も印象に残っているのは日本人学校小学部チャンギ校の建設です。政府から借り受けた土地で建設が始まったものの、敷地の一画から不法占拠者が立ち退かず、建設計画を見直す必要に迫られました。この問題は1年半におよぶ裁判を経てようやく解決しました。今もチャンギ校を訪れると、あの時は本当に多くの人の協力とチームワークがあったことを思いだします。
日本人会はこれからも新しい世代の日本人コミュニティに対応しながらも、変わらない理念の下、在星邦人にとってかけがえのない存在であり続けたいと思います。