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シンガポール日本人会が表現した「夏まつり」

 シンガポールに住む日本人や日本好きのシンガポール人が毎年心待ちにしている「日本人会夏まつり」。1988年に在留日本人向けのイベントとして始まった第1回目から、2019年まで夏恒例で開催され、近年は来場者数4万人弱(2日間合計)を集客する大型イベントになりました。和太鼓の演舞など初回から続いているパフォーマンスもあり、夏まつりは長きにわたって引き継がれてきたシンガポール日本人会を象徴するイベントとなっています。
 

2019年「夏まつり」の様子

 2019年9月7日、8日の2日間、スポーツハブとの共催でナショナルスタジアムで開催された日本人会夏まつり。会場内には日本の夏まつりの風物詩である、綿菓子やかき氷、焼きそばやたこ焼きの出店から、日本の地方の名産品を扱う出店、シンガポールでも活躍する日系企業や飲食店による出店まで100ものブースがずらりと並びました。ゲームコーナーでは、こちらも夏まつりには欠かせない、ヨーヨー釣り、射的、千本引き、輪投げなどの出し物がそろい、大人から子供まで多くの来場者が笑顔で挑戦していました。
 

ナショナル・スタジアムの夏まつり会場(2019年9月7、8日)
飲食店の出店がずらりと並ぶ(2019年9月7、8日)

 
 毎年恒例となっている、日本人会の浴衣着付けコーナーには2日間で540人が訪れ、シンガポール人の若者が色とりどりの浴衣姿で夏まつりを満喫。そして、中央のメインステージで行われるパフォーマンスでは、日本人会と関わりのあるローカルの学校・団体や日本とシンガポールの地域社会交流に貢献する団体などが参加し、ダンスやコーラス、ブラスバンドや和太鼓など幅広いジャンルのパフォーマンスで来場者を魅了しました。ラストを締めくくるのが、日本人会民踊同好会による盆踊り。和太鼓同好会の盆太鼓の音色に乗って、盆踊りの輪は何重にもなり、来場者が一つになってまつりは閉幕しました。
 

ヨーヨー釣りを楽しむ来場者 (2019年9月7、8日)
浴衣着付けコーナーで着付けをしたシンガポール人の夏まつり来場者(2019年9月7、8日)

 

シンガポール在住日本人の娯楽として始まった夏まつり

 現在、在留日本人のみならず、日本に関心を持つシンガポール人の間でも夏の定番となったシンガポール日本人会夏まつり。第1回目の夏まつりが開催されたのは、今から32年前の1988年8月13日でした。1977年に来星し、初回の夏まつり開催に関わっていた小松健治さんは「夏休み中に日本に帰国せずシンガポールに残る日本人会員向けの娯楽の一環として開催されたのがはじまりでした」と話します。当時の日本人会クラブハウス前の広場にテントを立てて、模擬店を出して、用意した小さなステージでは和太鼓の演舞や盆踊り大会も開催。日本の夏まつりさながらの雰囲気で、当日は240人ほどの日本人が集まったといいます。「手作りで、味のあるところが魅力でした」と、小松さんは初期の夏まつりを振り返ります。その後も年1回の夏まつりは続き、来場者は増加の一途をたどりました。
 

第1回の夏まつり(1988年8月13日)

 

 大きな転機となったのが1995年。シンガポール独立30周年のこの年に、日本人会はシンガポール側と連携し、旧ナショナル・スタジアムを使った大規模な夏まつりを開催しました。約3万人が来場し、来賓として福田康夫元総理(当時役職は外務政務次官)も出席。山形花笠まつり、秋田竿燈まつりなど日本を代表する伝統的なまつりのステージが用意されたほか、日本から招いた花火師が花火を打ち上げるなど、大盛況のうちに幕を下ろしました。その後、1996~2017年の約20年間は、日本人学校小学部チャンギ校に場所を移して開催。2018年からは再び新しくなったナショナル・スタジアムに戻り、スポーツハブとの共催で大規模に開催されています。
 

1万人による盆踊り(1995年9月30日・旧ナショナル・スタジアム)

 
 1972年に来星、夏まつりを担当する日本人会の娯楽部委員として活躍し、まつりの歴史をよく知る中垣美代子さんは「当初は、在留日本人が楽しむための行事として始まりましたが、地元の方と交流を深める場、日本文化に触れ合っていただく場、日本文化を発信する場へと、31回の開催を通じて日本人会夏まつりの果たす役割が広がりました」と話します。
 

秋田の竿燈まつりを再現(1995年9月30日・旧ナショナル・スタジアム)
マレー系シンガポール人も盆踊りに参加(1995年9月30日)

 

戦前から存在した「シンガポール日本人会」

 長年、この夏まつりを主催するのが「シンガポール日本人会」です。シンガポール日本人会が発足したのが1915年。当初はシンガポールで亡くなった日本人を葬るための日本人墓地(1891年に墓地としての使用の許可取得)の管理と、日本人学校(1912年に開校)の運営を目的に立ち上がりました。発足後、日本人会員によるコミュニティーの活動は活況を呈しましたが、1941年、太平洋戦争の勃発により日本大使館が閉鎖されたのに合わせ、やむなく消滅したといいます。
 
 1945年に太平洋戦争が終結。再び日本人墓地の管理が必要となり、当時シンガポールにいた日本人たちが集まったことが、1957年日本人会再発足につながりました。シンガポール日本人会は、戦前の設立時からみると実に100年以上の歴史を持つクラブで、現在も、日本人会館を拠点に在留日本人の生活を支えています。シンガポール日本人会によると、2020年6月1日時点で、4,881世帯・1万4,029人の正会員(日本国籍保持者) と438世帯・989人の会友(日本人以外の会員)が登録し、法人会員は739社が加盟しています。
 

2020年夏まつりはコロナの影響で中止、再開へ期待

 日本人会により長年、継承されてきた夏まつりですが、今年は新型コロナウイルスの影響で8月1日、2日に予定されていた開催の中止がすでに決定。楽しみにしていた在留日本人の間では落胆の声が上がっていますが、いち早くコロナウイルスが収束し、2021年以降に再開されることが望まれます。