2018年4月24日
密林に残る静寂、シンガポール昭南神社跡
シンガポール島のほぼ中央に位置するマクリッチ貯水池は、水源の乏しいシンガポールの貴重な水瓶であるとともに、自然を楽しむ人たちのレジャースポットでもある。魚釣りをする人、カヌーの練習をするグループ、そして貯水池の周囲にはなだらかなトレッキングコースが整備されており、ウォーキングやランニングで汗を流す人、ドリアンの実が数多なる巨木を見上げ、あるいはサルの群れなど小動物を発見し歓声を上げる家族連れ、色鮮やかに力強く咲く草花に足を止めシャッターを切るカメラ愛好家らが健康的な一日を過ごしている。
また、貯水池に隣接する広大な敷地に広がるのは、シンガポール・アイランド・カントリー・クラブ(SICC)。英国統治下の1891年に設立されたロイヤル・シンガポールの流れをくむアジア屈指の伝統を誇る名門クラブで、国際的なゴルフトーナメントを数々開催し、現在も世界中のVIPが会員として名を連ねているという。
このクラブの入口脇に、この辺り一帯の土地と日本とのゆかりを説明するNational Heritage Board(国家文化遺産委員会)の小さな案内板が立っている。
タイトルには、「SYONAN JINJA」とあり、2枚の写真も紹介されている。
伊勢神宮を模して建てられた昭南神社
昭南神社が竣工したのは1942(昭和17)年末。日本統治下のシンガポールは「昭南市」と呼ばれており、鎮護として伊勢神宮を模して、内宮に似た地形のマクリッチ貯水池西端一帯の土地に創建された。ゴルフコースを横切るように参道が整備され、鳥居をくぐり、貯水池対岸まで架かる朱塗りの和橋を渡り、石段を上ったところに拝殿、神殿があったという。
当時発行されていた「The Syonan Shinbun(英語版)」の1943年元日付1面中央には、“New Year At Syonan Jinja”の見出しとともに昭南神社の写真が大きく掲載されている。記事からは、1945年8月前後に取り壊されるまでの約3年の間、初詣など慶事の際に中心的機能を果たしていた様子がうかがえる。
トレッキングコースからも散見される日本の面影
トレッキングコースは一周約11km。複数ある入口の多くには駐車場が備えられ、休日午前には多くの人が続々スタートしていく。
給水・休憩もできる貯水池北側のレンジャーハウスから、反時計回りに歩みを進めると、貯水池北西部に差し掛かるあたりから、「これは日本人が作ったものでは?」と思わせる形状の小橋やコンクリート片が散見され始める。気が付くのは日本人くらいだろうが、往時の面影を実感するとともに、景色に注意深くなってくる。
熱帯林の中の歩道を抜け、ゴルフコース側に出て視界の広がりを感じてほどなく、貯水池水面から白い杭が4本突き出しているのが見える。ここに約120mにも及ぶ和橋が架かっていたという。雨季で水かさが増しているためか、目立った橋の跡は確認できないが、たまたま通りがかった建設関係者を乗せた小型ボートは、この2本ずつの杭の内側を慎重にすり抜けるようにして通過していった。外側を通ると、水中に残る構造物に衝突する恐れがあるのかもしれない。
貯水池のほとりに佇み、橋桁は見えないかと水面に目を凝らしていると、次第に橋の向こう側、対岸のジャングルが気になってくる。
神社が取り壊されて73年が経ったいま、拝殿のあたりの様子はどんなだろうか――。
ジャングルに残る遺構、漂う静寂
強風に揺れる熱帯林。鳥が啼き、小動物が動く。豪雨に見舞われ、蚊の群れに襲われる。地表には倒木。刺々しく生い茂る草木が行く手を遮る。ジャングルの中は、想像以上に騒がしい。
突如として明らかに人の手で造られたものと思える黒灰色の石塊が見えてくる。手水舎のようである。雨ざらしになっているが、澄んだ水を湛えながら、しっかりとその風格を残している。周囲に高木(こうぼく)はなく、小さな広場のようになっている。荒れてはいるが、石垣や石段も残っている。
まるで苔生しているかのように、遺構に絡まる草草。木々の枝葉の合間からは陽が差し、トンボが飛び、蝶が舞う。先ほどまでの騒々しさが消えたかのようである。ジャングルの中で不思議と静寂を感じ始める。
しばし往時に思いを馳せ、立ち尽くしていると、ふと松尾芭蕉の句が脳裡をよぎる。「夏草や つわものどもが 夢の跡」。
ジャングルの中に眠る遺構に、時間の流れを考えさせられる。
【注意】ジャングルの中は危険です。神社跡には行かないでください。
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.333(2018年5月1日発行)」に掲載されたものです。取材・写真: 竹沢 総司