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マイ・スウィートホーム、HDBから見るシンガポール

シンガポールを象徴する景観のひとつ、HDB団地群。HDB団地は、シンガポール政府機関の住宅開発庁(HDB: Housing & Development Board)によって開発や供給を管理されている集合団地で、シンガポール国民の80%以上が暮らしています。綿密な都市計画に基づいて建てられたHDB団地は、シンガポール発展の歴史を語る上で欠かせない存在でもあります。

 

HDB団地建設が始まって50年余、HDB団地のデザインも以前の画一的なものから多様になった。手前左は特に新しいデザインのもの。HDB団地は、島内にある23のHDBタウン(比較的新興の居住区)と3つのエステート(初期のHDB団地が多く広範囲)にある。(写真提供: 宮内智久さん)

 

シンガポールのコミュニティ醸成の立役者。HDB団地の歴史

1927年に旧イギリス連邦政府がシンガポール改良信託(SIT: Singapore Improvement Trust)を設立し、住宅の近代化が始まりました。しかし、急速な人口増加には追い付かず、1959年に自治州になった当時の住宅不足は深刻でした。自治州政府は早急な住宅建設を進めるため、1960年に住宅開発庁を設立し、1965年の独立を経て現在では約100万戸の供給を数え、HDB住宅購入を促進する「持ち家政策」のもと、住民の持ち家率は約9割に上ります。

 

HDB団地群ができると同時に学校や商業施設、病院、公園、交通機関が配置され、ひとつの街、コミュニティとなります。多民族国家であるシンガポールは、HDB団地の入居者の比率を国民全体の民族比率と同程度になるよう配慮し、団地の共有スペースやコミュニティ・センター(公民館)では、イベントを開催して住民間の交流を促進するなど、コミュニティ醸成も後押し。HDB団地は、民族ごとに帰属意識があった60年代前後から、国民のすべてがシンガポール人としてのアイデンティティを誇る現代になるに至った立役者と言っても過言ではありません。

 

現在、住宅開発庁では時代に合ったデザイン性を備え、サスティナブルな環境への配慮がされたHDB団地を導入しています。例えば、スカイガーデン(空中のパブリックスペース)を推進。2009年に初の50階建てHDB団地の「The Pinnacle@Duxton」、2015年竣工の「SkyVille@Dawson」や「SkyTerrace@Dawson」といったプロジェクトにも導入され、これまでにない斬新な佇まいが話題になりました。今後も新たな開発計画と共に、ますます個性的なHDB団地がお目見えするでしょう。

 

ではHDB団地に住む人々の実際の暮らしはどうなのでしょうか。多民族で文化が違う隣人との近所付き合いや、世代やライフスタイルの多様化の影響はいかに。

 

HDB団地のあるところには、地下鉄やバスの交通網、学校、病院、コミュニティセンター、マーケットなどの生活インフラが充実している。
トアパヨにある住宅開発庁のビル「HDB HUB」にて。1階のロビーでは古くなり再開発を予定しているところ、新規のプロジェクトなど模型で詳しく紹介されている。

写真集『HDB: Homes of Singapore』より、118戸のお宅拝見

アートユニットのケヤキスモスこと小川栄太郎、岩崎玉江夫妻と、シンガポール国立大学講師で建築家の宮内智久さんの3人が2017年1月に上祥した写真集『HDB: Homes of Singapore』は、まさに現在HDB団地に暮らす住人の日々をありのまま紹介しています。島内118戸、あらゆるロケーション、サイズ、スタイルのHDB住宅を、知人を通じて、時にはその場で交渉しながら3年間撮影を続けました。単一的な建物の外観からはうかがい知れないHDB住宅の多様な内装やデザインに驚かされたことが制作のきっかけだったとか。「一戸一戸のHDB住宅は作り変えられる空間。個性があって面白いだけでなく、それぞれの家のストーリーが映し出されているのです」と岩崎さん。ページをめくるごとに世代、宗教、趣味、ライフスタイルなど個性が存分に発揮された空間が登場します。快く自宅を開放してくれた住民たちは人情味溢れ、食事をもてなされることもあったと小川さん。「時代は変わってもHDB住宅はそれぞれの家族の生活が営まれ、その人の一番ディープなルーツがあるところ。シンガポール人そのものを体現しているといえます」(小川さん)。

 

『HDB: Homes of Singapore』は、680ページ、重量約5㎏の大作。2017年のベニス建築ビエンナーレでシンガポール代表として発表されたり、ユニークな本の装丁はグッド・デザイン賞も受賞した。

 

小川栄太郎さん(右)と岩崎玉江さん(中央)、宮内智久さん(左)(写真提供: 宮内智久さん)

 

前述の小川・岩崎夫妻自身も、持ち家のHDB住宅で暮らす4人家族。文化や習慣の違いから当初は不安があったものの、華人の風習を習ったりインド系家族のパーティーに呼ばれたりと、徐々に行き来が始まり、馴染んでいったそう。お互い違うものと認識して許容範囲を広げることで居心地がよくなったと教えてくれました。HDB団地が島内に導入される以前、郊外では簡素な家々が集まったカンポンと呼ばれる集落で華人もマレー人も隣り合わせで暮らし、それぞれ助け合い、戸に鍵をかけることもなく行き来していました。シンガポールではほぼ消滅したカンポンですが、カンポンの精神を今の環境で感じていると語る2人。現代生活の中に息づくカンポン精神、シンガポール気質としてHDB団地に受け継がれ次世代へつないでほしいと願うばかりです。

 

外観からでは想像できない個性的な内装。住人のライフスタイルが伝わってくる。(写真提供: 宮内智久さん)